2020 東京オリンピックの開会式を今からマジで心配している

     リオ・オリンピック閉会式の日本のプレゼンテーションが素晴らしかったと言われているそうだが、私は評価する部分と全く評価しない部分とに分かれている。群舞はよかったが、全体に国籍不明のアニメまみれで、2000年も続く独特の文化や芸術の国という側面が欠落していた。ただ1つだけ、小池百合子都知事の和服が日本らしさの表明だったが、安倍晋三首相のスーパーマリオは、ありゃ、何だい? と情けなかった。
    高齢者やアニメ嫌いにとっては、せいぜいがドラえもんまで、海外の若者に人気だと言っても、スーパーマリオが日本を表すなんてとんでもないし、心根が貧相でいただけない。
    そもそも、ファミリー・コンピューター・ゲームに関心がなくて、アイパッドでもスマホでも、ゲームで遊ぶことがない私のような人間からすれば、いくら流行りモノでも意味不明だし、何の感慨も呼ばない。
    19日早朝(日本時間)に行われたリオ・パラリンピックの閉会式でも、リオ・オリンピック閉会式同様のダンスや流行り音楽で、さっぱり日本らしさも出ていなければ、伝統芸能を含む独自の文化芸術の匂いも感じられなかった。身体障碍者モデルのウォークやダンスはいいとしても、根本的に和の古典に疎い仕掛人によるデモンストレーションに過ぎなかった。
    こんなのがわが日本を代表するプレゼンとはショボいの一言である。
    大体、品がない。
    根本的に心配しているのは、東京オリンピック2020に関して、トップのほうが情けないくらいの人材不足であることだ。森喜朗さんは元首相でも、悪いけどセンスのない田舎紳士である。ダサいし。丸川珠代さんがオリンピック担当大臣というのも全くいただけない。そもそもこの方はわが息子と同年代で、昭和39年の東京オリンピック時には生まれていない。ご自身の広い視野から物事の本質をつかんで考えることが出来るわけがない。この際、東大卒の学歴なんかは全く関係がない。
    なぜ、東京オリンピック2020を心配するかといえば、長野オリンピック開会式での、余りにもひどい内容が忘れられないからである。1度書いた通り、私は長野オリンピックの開会式をメディア席で全部見たのである。
    テレビマンユニオンに丸投げされたのではなかったか。主だった内容は、当時横綱だった大相撲の曙さんたちの土俵入りと、諏訪大社の御柱祭から「木落し」、それは地元のお祭りだからいいとして、それに加えて何の脈絡もないベートーヴェンの「第9交響曲」を、世界中の違う大陸から中継した。小澤征爾さんの指揮で会場の巨大スクリーンにアフリカなどの演奏が映し出された。
    小澤さんは世界的な有名指揮者であっても、東洋の長野と「第9」とは何の脈絡もない。また、オリンピックの開会式は、今、そこで行われている会場がすべて、他の大陸で演奏されているものを中継しても全く意味がないのだ。長野オリンピックは「長野」が大事なのである。地元出身の故・萩元晴彦さんが、カラヤンに心酔していて、「第9」を推したのだろうと私は勝手に邪推したが、頓珍漢も甚だしかった。あの二の舞だけは止めてほしい。
    今回、私が懸念しているのは、この国の若者文化で大いにお稼ぎになっている人たちの内、Y・A氏などに開会式の陣頭指揮を丸投げすることだ。1部に流行りモノが入ってもいいが、アニメやAKB的ガキ文化だけはご免こうむりたい。つまり、年代に関わらず不変の古典芸術がメインに据えられるべきである。
    古典は長年廃れずに続いてきたからこそ古典なのである。日本の伝統芸術と、既に西洋音楽や絵画やバレエのジャンルでも、日本人は世界的レベルに達している。多くの素晴らしい芸術家がいる。オペラでも器楽演奏でもオーケストラでも。それら全般に通暁した人材に総合的なプロデュースと演出を任せるべきである。例えば、野田秀樹さんなどだ。
    オリンピックはアスリートがすべてではない。その国の歴史や文化(特に長年培われてきた芸術)を全世界に発信するまたとない機会であって、決して今の流行りモノの展示会ではないのだ。アニメが中心なんてとんでもない。
    金まみれの広告業界も排除するべきだ。
    犬のお父さんで金は儲けられても、人の心を感動させることは出来ない。
    下手くそで意味不明な英語交じりの歌手によるショーも止めてくれ。EXILEなんてまっぴらごめん。
    最後に提案である。開会式でのビジュアル効果に是非浮世絵を活用するべし。版権は切れている。
    葛飾北斎の「富嶽三十六景」から、『神奈川沖波裏』などを開会式場全体に映写して、その上で絢爛豪華な和装の舞妓が踊るのはどうだろうか。かの、芸術と文化の国のフランスの、トップ芸術家、クロード・ドビュッシーがこの絵に啓発されて、交響詩「海」を作曲したのは超有名な話である。
    私はこの提案をあちこちで喋っている。
    東京オリンピック2020を牛耳っているトップ方面の方々にこの話をすれば、「ドビュッシーって何?」と聞かれそうなレベルで怖い。あり得ない話ではない。クラシック音楽と絵画に造詣が深く、知的レベルの高い人がトップにならなければ、とんでもないゲテモノ陳列会になる。
    私の他に、文化の発信ということで心配しているメディアの人はほとんどいないが、コメンテーターの玉木正之さんだけが、似たような発言をしていらっしゃった。ああ、心配だ。東京オリンピック。