1市民としてのオウム真理教 異聞

 

 平成30年7月6日の麻原彰晃元死刑囚の刑執行ニュース以来、このわけのわからない宗教にまつわる1市民としての違和感が、また蘇ってきた。
 何度か自分のエッセイやコラムで書いたが、わが家で直接オウム真理教と関わった人間はいないし、被害に遭ったこともない。でも、かの教団が活動拠点にしていたエリアに、家の生活圏が微妙に近く、後から知ってゾゾーッとしたのである。
 1990年、オウム真理教の信者たち、25人もが衆議院議員選挙に立候補した時、近くに彼らはいた。最寄りの某駅前で、麻原彰晃の似顔絵を描いた不気味な被り物をした白装束の候補者たちが、「ショーコ―ショーコ―、ショコショコ、ショーコ―、ア、サ、ハ、ラ、ショーコ―」と歌っていた。
 まるでマンガのような光景だったらしい。
 夫はたまたまこの宣伝戦に遭遇し、「選挙運動風でないので、なんかヘンだ」と思って見たそうだ。私はその時同行していない。
 見事に全員が落選したのだが、まだこの頃は「泡沫候補」乃至は「お笑い系」扱いで、この落選を契機に、彼らが過激な破壊行為に向かったなどとは、私たちは努思わなかった。
 1994年の6月、松本サリン事件が起きた。
 河野義行さんの冤罪・報道被害などは強く記憶に残っている。
 が、それよりも、事件のあった松本市北深志は、またまたわが行動範囲のニアミス地域であった。安曇野市にあるセカンドハウスに出かける場合、マイカーで行かない時は、中央高速バス→松本→某レンタカーという経路で行くので、いつも事件現場近くを通るのだ。
 安曇野へ行くのにはJRを利用しても、穂高駅停車のスーパーあずさ号は本数が極めて少ないので、結局、松本まで行ってレンタカー利用になる。
 勿論、わが家を建てたのは1994年よりずっと後だから、このあたりに関する土地勘がなくて、ニアミスになってしまったという偶然もある。
 この大事件の前から、後に分かったことだが、オウム真理教は1989年の田口修二さん殺害事件ほか、何度か信者の殺害事件を起こしていた。
 わが東京のマンションから歩いて行ける距離にある、別の最寄り駅近くに、彼らのアジトがあって、その家の2階から、棺桶に入れた死体を滑り下ろして外に出していたのだと、あるメディアの報道で知った。
 その瞬間にニュースに映った建物の外観と私の記憶がぴったりと一致したのである。髪の毛が逆立った!
 つい数日前に、その古びた2階家の外観を、私は何の気なしに眺めた記憶が蘇ったのであった。「あそこに死体があったのだ!」。
 何十年も住み続けているわがマンションから遠くない地域に、戦後最大のテロ集団のアジトがあったなんて、考えもしなかったのである。
 さて、いよいよ1995年の地下鉄サリン事件当日。
 何度も書いたが、わがマンションのリフォームをしていた。
 和室を全く潰してリビングに繋げる大工事だった。リビングの片隅に置いてあった仕事関係のデスクから、テレビなどを根こそぎ私の寝室に移動する。私の部屋は、テレビでよく見るどこかのゴミ屋敷のような状態になり、物だらけの上から、真ん中の奈落の底にあるテレビを見て、テレビ批評は続けねばならなかった。
 1995年3月20日の朝、いつもオートバイで通ってくるスキンヘッドの大工さんが、8時を過ぎても来ない。電話もない。確か、もう1人の工事人さんはちゃんと来ていたと思う。そのうち、やっと大工さんが来て、「中野坂上で交通規制に遭って止められてました」という。
 この時点では、私はまさか、今テレビに映っている築地駅の異臭騒ぎと中野坂上駅周辺の交通規制とが、同じ事件だとは全く考えなかったのだ。リビングと寝室を行ったり来たりしているうちに、「待てよ」と思った。テレビの報道に築地駅だけでなく、霞が関や中野坂上駅でも何か起こっているとアナウンスされだしたからであった。
 歴史に残る大事件に、まさにわれわれ日本人全員が遭遇した瞬間であった。
 息子の知人は地下鉄のサリン車両に乗っていて、「なんかヘンだ」と胸騒ぎがして隣りの箱に移り、命が助かった。
 3月20日以降、3月30日の国松孝次警察庁長官狙撃事件、4月の村井秀夫元幹部の刺殺事件生中継、5月16日の麻原彰晃逮捕まで、私は連続してオウム一連の報道のチェックに追われることになったのだった。
 後に、あるテレビ関係者が集うパーティーで、国松孝次氏とは会場で出会い頭にぶつかりそうになったことがあり、「あ、この顔は!」と驚いた。
 死刑制度の批判など、ここでは書かない。
 大東京の中心部で起きた大規模なテロリズムの首謀者として、この団体は名を残すが、私は松本智津夫という人は、本来は気の小さな見栄っ張りの人だったと思う。彼を逮捕した元刑事が、上九一色村の隠れ部屋で手錠をかけた時、麻原は足までぶるぶる震えていたのに、外へ出て、弟子たちの前を通る時には、突然、胸を張って堂々と体を起こしたといっていた。
 目が不自由で視野が狭かった彼には、入ってくる情報に限りがあり、そのために妄想が肥大化したのではないか。
 テロで命を落とした人たちは、犬死という悲惨に遭ったのである。合掌。