遅まきながら日本映画『祈りの幕が下りる時』を見てきた

 

 原作は売れっ子の東野圭吾さん、主演は阿部寛さんと松嶋菜々子さん。公式サイトでは「大ヒット上映中」だの「満足度96.5%、推薦度92.4%」だの、「最高の泣けるフィナーレへ」だのと、大傑作だと煽っていた映画なので、ちょっと関心はあった。
 基本的に私は邦画を見ない。大昔は話題作をほとんど見ていたが、70年代ごろからは徹底して洋画しか見なくなった。理由は簡単で、つまらないものが多いからである。時間の無駄、お金の無駄。
 商売柄、反吐が出るほどテレビドラマを見ているので、これ以上、わざわざ小屋へ行ってまで日本人を見たくないのである。
 だから、カンヌ映画祭に出品されたものでも、邦画は見ていない。
 確かにちょっと偏見でもあるが、これは私の専門分野なので理屈はある。
 今回、TBSの有名演出家、福澤克雄さんの監督作品で、「新参者」の解決編だというので、重い腰を上げて某シネマコンプレックスまで足を運んだのである。阿部寛さん主演のテレビドラマ、「新参者」は、私が審査員をやっているザ・テレビジョンの「ドラマアカデミー賞」で、確か賞を取ったドラマである。
 その終編とあれば見ておく必要もある。
 で、見た感想はどうだったか。
 まあまあの出来、ちょぼちょぼの作品、つまらなかったとは言えないが、あまり面白くもなかった。「泣けるフィナーレ」の宣伝文句は誇大表示で、私は全く泣けなかった。娘が父親を絞殺する最後は哀切だったけれど。
 これはあくまでも映画の出来についてである。東野さんの原作は読んでいないので批評する資格はない。
 当作では「新参者」の主人公の加賀恭一郎(阿部寛)の過去が判明する。加賀は以前は教師であったが、父親(山崎努)と同じく警察官に転職して、日本橋署の警部補になっている。
 彼の母親・百合子(伊藤蘭)は鬱病になって失踪し、長い間、恭一郎は行方を捜していたのだが見つからなかった。彼女は実は仙台のスナックで働いていた。しかし、看護師・金森(田中麗奈)に看取られて亡くなってしまう。
 事件の発端は2つの殺人事件だ。一つ目は滋賀から上京して旧知の演出家である浅居博美(松嶋菜々子)を明治座に訪ねた女、押谷道子が、あるボロアパートで殺された事件。
 同じころ、河川敷でホームレスの男が焼死しているのが発見されるのだが、死因は焼死ではなく、火で焼かれる前に、絞殺されていたとわかる。恭一郎の従弟で刑事の松宮脩平(溝端淳平)らは2つの事件の関連性を発見する。
 物語を追ってもしょうがないのでハショる。メインテーマは元女優で今は演出家の松居博美の壮絶な過去。もう1つのテーマは恭一郎の父母が明らかになること。この2つは恭一郎が日本橋署の警部補であるがゆえに濃密に関連する。
 当作は松本清張原作の名作、「砂の器」に似ている所があると言われている。
 笑止千万である。
 何故か。
 似ていると指摘されているのは、最初の殺人が地方(滋賀)から出てきた人間が殺されてしまう点だ。「砂の器」では大作曲家・ピアニストに大成した主人公が、過去に極貧の少年だった頃、助けられた人に訪ねてこられ、現在の自分を失いたくなくて殺してしまうという悲劇の発端である。
 もう1つは少年時代になぜ極貧だったかというと、父親がハンセン病(以前はらい病と呼ばれた)を患っていたから。父親は少年を連れてさすらいの旅に出る。遍路の姿で門づけし、何がしかを恵んでもらいながら流浪していたのだ。
 今の若い人たちはハンセン病という伝染病の意味を知らない。ハンセン病ほど忌み嫌われた病気はなかった。業病と呼ばれ、一家に1人でも発病すると家族から隔離され、縁を切られ、〇〇園と名のついた遠くの隔離施設に官憲の手で連れていかれた。生殖能力は強制的に断つ手術を施された。
 ほんの60年前の、昭和30年代でさえハンセン病は弱い伝染病に過ぎないと認識されていなかったのだ。「らい予防法」という法律が撤廃される平成まで。
 「祈りの幕が下りる時」の主人公の1人、松居博美が少女時代、借金取りに追われて父親・越川睦夫(小日向文世)と共に、各地を逃げ回るところが、「砂の器」の流浪とそっくりだというのだが、バカ言っちゃいけない。
 「砂の器」に描かれたものは、社会的広がりのある悲惨である。指先や鼻の先が白蝋化するために、見かけの恐ろしさで人々に恐怖心を与えた病で、日本中のどこにも居場所がなくて流浪せざるを得なかったのだ。
 巨匠・野村芳太郎が描いた映画、「砂の器」の山陰の映像美を今でも思い出す。父親が施設に収容されたのち、実直な村の警官の世話になったのに、やがて出奔して戦中戦後のどさくさに紛れて別人になり、後に大音楽家として有名になる。テレビドラマの「砂の器」はペケだったけれど、野村芳太郎の映画は傑作だった。時代と社会に翻弄されてゆく悲しい父子の運命を薫り高く描いた。
 当作の逃避行なんて、借金苦の逃亡であって、「砂の器」とは似て非なる内容である。また、殺人を犯したと自覚している松居博美が、目立つ女優業や舞台演出家になるのも不自然である。ひっそりと陰に隠れて生きてゆくはずだ。
 かくして、私の当作映画の評価は≪並み≫である。
 毎月違う橋で父と娘が携帯で話をしていたというのも、わざとらし過ぎ。監視カメラが怖い人にとって、わざわざ目立つ橋の上を選んだりするか?