美しくも恐ろしい、片岡仁左衛門の惡の華

 

 四世・鶴屋南北が書き下ろした仇討ちものの傑作歌舞伎、『通し狂言 霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)』を国立劇場に見に行った。実際にあった仇討ちを下敷きにした歌舞伎である。
 15年前の公演で高い評価を受けた演目である。
 再演されたらぜひ見たいと思っていた。
 片岡仁左衛門丈が悪役の藤田水右衛門と、古手屋八郎兵衛・実ㇵ隠亡の八郎兵衛という2人の極悪人に扮する。惚れ惚れするほど美しい悪人・仁左衛門。
 仁左衛門さんが扮する藤田水右衛門は浪人で、黒づくめの着流し、口はへの字。序幕で敵討ちをされそうになり、逆に返り討ちにする場面から毒気が舞い上がる。仇討ち立会いの武士・掛塚官兵衛と謀って、決闘の前に交わした水杯(みずさかずき)にちゃっかり毒薬を塗っておき、仇を討とうとする石井兵介をまんまと返り討ちにしてしまう。とにかく卑怯で悪い奴なのだ。兵介は水右衛門にトドメをさされて憤死する。
 これから延々と様々な人物が登場し、筋書きはめっちゃ複雑なので省略する。
 私は歌舞伎座や国立劇場のサポーターでもないし、誰かのファンクラブのメンバーでもない。軟派のはやり音楽は好きではないので元々行かない。クラシック音楽については、何十年もNHK交響楽団のサントリーホール会員なので、毎月、定期演奏会に出かけるが、お芝居や現代演劇やミュージカルや宝塚歌劇などについては、演目によって個別にチケットを買う。招待は行かない。出来が悪い時に批判もできないからである。
 だから、チョイスの仕方は支離滅裂である。
 今回は、出身大学の学部や学科を横断した同窓会の組織のメンバーから、国立劇場の観劇を誘われたのである。I会(同窓会の名前)のメンバーであるH君からメールが来て、観劇会に参加しませんかという。
 H君の知人が国立劇場に関係していて、いい席を割引で押さえてくれるというのである。しかも、お昼食付き!
 ほいほいと申し込んだのだ。
 当日。雨が降っていたのに、なんと、四ツ谷駅から半蔵門駅の先まで30分も歩いてしまった。休日でタクシーが全然来なかったのである。
 2か月前に池袋の舗道ですってんころりんと転倒して、背骨の臼がズレてしまい、しばらくの間腰にコルセットを巻いていたので、雨の中を歩くのはおっかなびっくりだった。何とか無事に劇場にたどり着いた。
 さすがに歌舞伎の客はじじばばが多い。
 高齢の男性はいるが、若い人はほとんどが女性で、年寄りを連れた娘らしき人や、ばば3人の女子会(?)など女連れが圧倒的に多い。
 私はへそ曲がりで、音楽会や観劇には取材目的もあるので誰かと行くのは大嫌いなのだ。1人で集中したいのである。映画を見る時は夫と2人だが、生の舞台は大抵1人。連れに気を使いたくないのである。
 座席は1等席のAではあったが、残念ながら花道の外側だった。大詰めの場面で、色とりどりの鉾をもった行列の人たちの、並んだお尻ばかりを見る羽目になってしまった。
 さて、この舞台で、驚いたり目をみはったりした場面を列記すると。
 1番びっくりしたのは舞台に本物の雨が降ってきたことだ。2幕目の「駿州中島村焼場の場」で舞台の端から端までジャバジャバと天井から雨が降ってきた。一体後始末はどうやるのだろうか。私の席からは水が落ちた舞台面がよく見えなかった。
 水右衛門の一味の隠亡の八郎兵衛が、だまされたおつまを殺そうとして、逆に斬り殺されて姿を消す。その直後に、棺桶の中に隠れていた水右衛門が棺桶を破って登場するのだが、八郎兵衛と水右衛門は同一人物の仁左衛門さんが演じている。
 どうするのかと見ていると、あっという間の早変わりで、月代を剃った極彩色の入れ墨男の八郎兵衛が、背中からひっくり返ってお尻を見せ、穴の中に消えると、しばらくして、棺桶を蹴破った黒づくめの水右衛門がすっくと現れる。
 極悪人の水右衛門はおつまを腹の子ともども脇差でむごたらしく殺す。そして、彼を敵と狙う石井家の人間をこれだけ殺したぞと指折り数えるのだ。仁左衛門の美しくも憎たらしい横顔である。
 いよいよ、大詰めの「勢州亀山祭敵討ちの場」。
 中央にきらびやかな駕籠が1つ。水右衛門をおびき寄せるために仕組まれた祭礼の場で、まんまと水右衛門は石井家の面々に囲まれてしまう。しかも、駕籠から出てきたのは仇討装束の石井家の孫、石井源次郎だった。
 可愛らしい子役の源次郎は、白鉢巻を頭に締めて、助っ人ともども水右衛門に斬りかかる。奇病だった幼い源次郎は、祖母の貞林尼が自分の腹に懐剣を突き立てて肝臓の生血を吸わせたために、いきなり生気がみなぎって奇病が治ったばかり。可愛い声を張り上げて代々の一族の仇である藤田水右衛門を討ち、石井家長年の恨みを晴らす本懐を遂げたのであった。
 この時の舞台の設計が素晴らしい。塀の向こうには色鮮やかな鉾が並び、手前には黒装束のにっくき仇の水右衛門。その横には小さな白装束の源次郎。寄ってたかって討たれた仁左衛門丈は頭を客席に向けて大の字に伸びている。その肢体に源次郎たちが思い切りトドメを刺したのである。
 これにて長年の親の仇、親族の仇を討って、めでたしめでたしの大団円!