私家版 平成を送る10の項目

 

 世間が大騒ぎすればするほど、へそ曲がりの私は、「それがどうしたの」と冷静になるから、今回の御代替わりについてもあまり興奮しない。
 このエッセイでも書いたように、天皇様がおかくれになったのであれば、何らかの回顧談でも綴りたくなろうが、今上天皇は皇后様とご一緒にお元気である。だから、令和時代になるからといってどうってことはない。
 まあ、30年という区切りのいい年数なので、私の関心事について10項目ぐらいに纏めてみたいと思う。お人好しの方々が、平成の30年は「平和だった。戦争がなかった」と言っているが、とんでもない甘さである。私は異様に恐ろしい時代の幕開けだったと思っている。
 第1に大規模テロの時代の始まりだったということ。
 戦前にも、2.26事件などのテロはあったが、いずれも、個人がブスリとやるような殺人事件のテロが多かった。しかし、この30年で私が恐怖にかられたテロは、オウム真理教が起こした数々の事件であった。何が恐ろしいといって、私の経験では全く想像もつかない異なる人種の誕生とでも表現しようか、彼らの起こした事件には対象に対する人間味が欠落していて恐ろしかった。赤ちゃんまで殺した坂本一家殺人事件など。日本人が変質した。
 1度書いた通り、地下鉄サリン事件の平成7年3月20日、わがマンションのリフォームをしていて、毎朝8時すぎにくる大工さんが中野坂上交差点で規制に引っかかって遅刻した。家族の知人は霞が関駅で危うく死ぬところだった。
 もう1つのテロは言うまでもなく、9.11アメリカの同時多発テロ、超高層ビルへの飛行機突入の恐怖の映像だった。当時の『ニュースステーション』(テレビ朝日)の生映像は今でも眼底に焼き付いている。その後の世界的大規模テロリズムは、もう手に負えない。1970年代の不気味な連合赤軍事件や企業爆破事件への違和感とは違った地球規模の怖さは、まさに平成時代の象徴だった。
 2番目に取り上げたいのは巨大地震と、それらを伝えるメディアの変質である。
 平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災の時、息子はパリに留学していた。パソコンは一般化しておらず、国際電話で彼がパリの報道を見て、「日本が壊滅した」ようなことを言っていたので、夕刊に出た高速道路の倒壊の写真を、ファックスしてやったのである。
 携帯もスマホもなく、固定電話から国際電話をかけて、長い時間、ぐにゃりと歪んだ高速道路の写真をエッチラオッチラ、ファックスしたのを覚えている。
 パリの報道は、日本が欧米のニュースに時間を割くほどには極東のネタを扱わないから、全体像が掴みにくいのである。
 東日本大震災の当日、つまり、平成23年3月11日、私と家族は奈良のお水取りを見学するために奈良ホテルに逗留を予定していた。京都から私鉄で奈良に行く途中、タクシーの運転手から「震度7の大地震だ」と聞かされた。その夜、ホテルのテレビで、もの凄い津波の映像を見た。私は昔、疎開先で遭遇した南海の大地震の恐怖を思い出していた。
 息子にわがマンションを見に来てもらったら、「リビングと言わず書斎と言わず、あらゆる本が床に散乱しているよ」と言われてがっくり来た。幸いに割れたものはなかった。東京も地震後はのべつまくなしに揺れていたらしい。
 3、4、5番目の項目は総てが平成元年のことである。
 この年に息子は中高一貫の私立高を卒業し、18歳で大学生になった。大学入試の3次試験当日が高校の卒業式で、私は卒業式に子供なしで出席せざるを得なかった。ついてないのはこの後も続き、大学の入学式には息子から「来るな!」と言われて行けず。留学先でも1度も親としての嬉しさは味わえずじまいである。この頃の、大学の入学式や卒業式に親が着飾って列席している映像を見る度に「くそっ」と思う。私はただのスポンサーか!
 平成元年にはもう2つ忘れられない出来事があった。1つはベルリンの壁崩壊という世界的事件。かつて行った東側のライプツィヒの、不愛想な商店を思い出した。
 あと1つは大歌手・美空ひばりさんの若すぎる死。私は軟派音楽にはあまり関心がないので、彼女のファンではなかったが、少し前に週刊新潮に連載していた自分のコラムで、彼女の重病説を書いたところだったので、ショックだった。同時代に生きて、1度も生ステージを見に行ったことがなかったので、物書きとして「失敗した」と残念だったのだ。
 得難い経験をし損なったのである。
 その後、息子は結婚し、平成20年には初孫が生まれた。同居してはいないので、あまり会えないが、まだたった10歳のチビが塾に通っていて超忙しい。恐ろしい時代である。息子の時は塾にも通わず、自宅でドリルをやらせるぐらいで志望校にスイスイと合格した。
 近頃の小学生はパソコンもやらねばならず、英語もやらねばならず、めちゃくちゃだ。日本の未来を憂える。子供の時に遊ばしてやらないでどうするのだ。
 さて、残る5項目は一括展開である。パソコンやアイパッドやスマホなどのインターネット・ツールによる人間の変質である。猫も杓子も「発信」「発信」といって、SNS上に個人情報を書く。はっきりいって、私には違和感がある。自分の顔写真をこれ見よがしに撮って、ネットに挙げる。誰が見ているかわからないネットの海で、自分の顔を晒したいとは羞恥心が欠落している。
 タレントや俳優や商売の人たちが、宣伝に使うのには得難い便利ツールであるが、無名の市民が「発表する場がなくて」奇抜な映像を投稿したり、料理自慢を写したり、話題になりたいからと職場での吐き気をもよほすゲス行為を撮影して載せたりする。「1億総白痴化」の大宅壮一さんが生きていられたら何と言うか。
 私は電車の中でコンパクトを出して、まるで無人の車内にいるように、人前で化粧を始める若い女がいたり、パクパクとおにぎりを食べだす大人が存在することに、このネット行為が繋がっているとしか思えない。1億総羞恥心の欠落。傍若無人の日本人劣化。
 平成の時代に蔓延したこうした日本人の変質は、美しくつつましやかで、他人に迷惑をかけず、控えめだった日本人の消滅に拍車をかけている。それとも私がよく目撃する劣化した彼女たちは、みんな流入してきた外国人なのか? そうではあるまい。平成はとっとと去れ。