浅利慶太さんの訃報を聞いて思うところがある

 

 1983年に浅利慶太さんがトップの劇団四季で、珍しい興行スタイルが始まった。大きな劇場で1カ月公演というのが普通だった頃に、新宿駅の、今はバスタ新宿になっている南口の、甲州街道のさらに南側に、テント小屋みたいな劇場が突然現れ、そこでミュージカル『CATS』のロングラン公演があったのである。
 学生時代に親友が劇団四季の話をしていて、私はただ「へえー」というぐらいの関心しかなかったのに、『CATS』の初演に招待されたのである。
 イラストレーターの山藤章二さんの奥様からご招待のお裾分けをいただいたのだ。だから、指定席は飛び切りの前の方で、舞台で飛んだり跳ねたりしている役者の猫ちゃんが、私目がけて近寄ってきてびっくりしたりした。
 当時、私はアメリカのミュージカル音楽にあまり興味がなかったので、発声もクラシックとは異なる歌声に、ただびっくりして帰ってきたことを思い出す。
 その後、息子の中・高の同級生で、大学も同じく東京藝術大学の1年違いになったテノールの柳瀬大輔さんが、劇団四季の主役を務めるようになり、私も次第にこの劇団の公演を見に行くことが増えた。
 私は演劇や歌舞伎やコンサートなどは、すべて自腹でゆく。もし、出来が悪い時に、招待されてゆくと、心にもない提灯批評を書かねばならないから嫌なのである。まことにもって青臭いと思うが、性分だから仕方がない。
 四季ではその後、『ライオンキング』も見た。
 もっとも積極的にチケットを買って聴きに行ったのは、『劇団四季の昭和の歴史三部作』である。これは太平洋戦争時代の日本人を描いた『李香蘭』と『異国の丘』と『南十字星』の3本のことをいう。
 わが家は父親も年の離れた兄たちも出征兵士にはならなかったので、田舎に疎開して母たちがつらい思いをしたのを見聞きしただけで、直接には戦争で悲惨な思いなどはしていない。
 しかし、私は「異国の丘」という戦争歌謡を聴くと涙が出てくる。胸が締め付けられる。だから、その歌がタイトルになったミュージカル『異国の丘』には、イの1番に駆け付けたのであった。戦後シベリアに抑留されて辛酸を舐めた日本の兵士たちの望郷の歌である。
 誰の作曲か分からなかったのだが、実はあの高名な吉田正の作曲であった。
 ミュージカル『異国の丘』はフィクションの九重秀隆という元貴族を主人公にしていて、私が涙を流す「異国の丘」は劇中でたった1回しか歌われなかった。多分、うるさいジャスラックのせいだろう。
 2001年だから、もう17年も前のことになる。素敵な石丸幹二くんが主役の九重秀隆を演じた。このミュージカルのプログラムに、故浅利慶太さんが縷々、戦争に突入した日本について書いている。
 悪いが、私は浅利慶太さんが中曽根康弘さんや諸々の右翼大物たちと親交があったので、てっきり硬派の右翼、保守頑迷な方に違いないと思っていた。ところが、彼が音頭を取って『歴史三部作』を制作し、なかんずく、プログラムに書かれた彼の文章は、「一銭五厘」の赤紙の意味から説き起こした至極真っ当な反戦論が語られていたのである。見直した。
 ちなみに、「一銭五厘」とは、お上から通達される赤い紙の召集令状に貼られた切手が、たったの一銭五厘だったことに由来する。
 だから、庶民は自分たちのことを自虐的に「一銭五厘の命」と卑下したのだ。
 『異国の丘』初上演の当時、私は産経新聞社発行の「ビジネスアイ」という新聞にコラムを書いていた。その中で、浅利さんの「歴史三部作」を称賛したのであった。コラムを読んだ浅利氏は後日、私にわざわざ謝意を伝えてくださった。
 浅利さんはプログラムに書いている。
 戦争を知っているわれわれ(浅利さんたち)が死に絶えた後、「われわれの民族は二十世紀に大きな悲劇を経験した。その歴史は絶対に語り継がれなければならない。新世紀第1作(2001年上演)の主題は、そこに置くべきだというのが私の思いだった。中略」。
 彼は筋金入りの「戦争時代に生きた聡明な少年」だったことがわかる。
 「戦争は民族の、国民の多くの犠牲を伴って戦われるということである。中略。だから、戦争を決断する立場に立った人は、このことを深く心に刻まなければならない。これは政治家だけではなく、それを支える者、あるいは世論に影響をもたらす者までふくめて、責任を問われることである。
 指導的立場にある者は、如何なる困難ものりこえ、政治的、外交的手段を尽くして戦争を回避するよう努力しなければならない。中略。
 私の少年時代に行われた昭和の大戦争を振り返った時、当時の指導者たちに果たしてそれだけの認識、覚悟があっただろうかという疑問が湧いてくる。中略。
 戦争指導者の頭の中に、もし1兵は「一銭五厘」にすぎないという発想があったとしたら、それは万死に値する。台本を書きながら、満州における軍事行動の開始から太平洋戦争の敗戦に到る経緯、その発想、戦略、戦術、軍事作戦の立案、遂行を辿ってみると、高級軍事官僚たちの無能、無責任と共に、この非人間的な思い上がりがあったように思えてならない。そして、民を軽んじる(官僚主義)や、それに不可分の(事なかれ主義)は、過去も、今も、日本人の社会に宿る病ではないかと思い至った時、鳥肌が立った。後略」。
 劇団四季の創設者、浅利慶太氏。
 死して、日本人を叱る、である。ご冥福を祈る。