昔々、『親の顔が見たい』というベストセラーがあった

 
 
  銀幕の大スターにして、歌う美人女優として一世を風靡した高峰三枝子さんという女優がいた。高峰筑風という筑前琵琶の宗家のお嬢様で、品のいい深窓の令嬢という雰囲気の女性だった。今なら考えられないが、彼女は典型的な中高(なかだか)の和風美人だったから、目は一重瞼であった。それでも、現在のように何でもかんでもお目目パッチリではなく、天性の、加工をしていない美貌には一重瞼がしっくりと合っていた。
 少女時代、私は彼女の大ファンで、厳しい学校の校則では父兄同伴でなくては行ってはいけない映画館に、1人こっそりもぐりこんでよく彼女の映画を見た。ほとんど外国映画ばかり見ていたのに、邦画では高峰三枝子作品びいきで、特に覚えているのは『今ひとたびの』というメロドラマだった。
 メロドラマだからとバカにはできない。巨匠の五所平之助が監督し、音楽は天才・服部良一であった。主役は高峰三枝子と龍崎一郎で、美男美女の切ない恋物語だったと記憶する。毎日映画コンクールで日本映画大賞を取った。
 この映画の封切年から計算すると、昭和22年だから、私は思春期にもならない子供時代だったはず、ずいぶんませたガキだったのだ。
 この憧れの高峰さんが1人息子の清貴さんに悩まされた。どんな事件だったか覚えていないが、清貴さんが事件を起こして逮捕されたのであった。今のようにテレビでのワイドショーが多くなかった頃なので、連日カメラに追い回されるということはなかったが、メディアの餌食になったのは今回の高畑淳子さんと同様だった。当時の批判の論調は、「金持ちの女優が、お金だけ息子に与えてほったらかしにしたために息子がぐれて事件を起こした」というものだった。
 当時の銀幕の大スターというものは、トイレにもいかないと思われるような雲の上の存在で、神聖で犯すべからざる高貴な方々という認識だったので、人並みにぐれた息子で苦労する母親像が知れ渡り、そういう意味でも世間にショックを与えたのである。テレビ女優とはそもそも別格だった。
 高畑裕太容疑者の強姦致傷事件を聞いた時に、真っ先に私は高峰三枝子さんとその1人息子を思い出した。同時に、三田佳子さんと彼女の息子のクスリ事件も思い出した。三田さんの事件では、何度もメディアからコメントを求められた。私が連載していたコラムに、ご主人の元NHK・高橋さんから直筆のファンレターをもらったこともあったので、非常に答えにくかった。
 成人に達した息子が刑法に触れる罪を犯した時、親は連帯責任を負う必要はないと、情報番組のコメンテーターと称する人たちが、したり顔の人権意識で喋っているのをよく見かける。今回の場合で言うと、高畑淳子さんは謝罪会見なんか開くことはなかったというのだ。
 私は全く別の意見である。子供に関するいかなる問題も、親に責任はある。少なくとも20代の前半ぐらいまでは。子供の成育歴の大半は親の育て方によって良くも悪くもなる。小さい頃から、母親が有名女優で、メディアや仕事関係の人に接する時の対応の仕方を見て育った子供は、よほど口を酸っぱくして教育されない限り、母親の対応を本心かと錯覚する。
 実は駆け引きもあるので、本心の謙虚さに蓋をして、一見、傲慢に振る舞うこともある親の姿を、子供は「わが家は偉いんだから、相手を下に見ていいのだ」と思い込まされて育つ。教育が行き届かないと、とんでもない錯覚人間(子ども自身は偉くもなんともないのに傲慢になる)が出来上がる。
 高畑裕太容疑者は典型的な親の七光りの錯覚男だったに違いない。せめて父親がいれば、母親が夫に対する接し方によって別の側面も体験できたかもしれない。被害者に対して、恐らく容疑者は「悪いことをした」とは最初は思っていなかった。有名女優の息子で有名になりかかっている自分とこうなって、心のどこかでは相手の彼女は喜んでいるだろう程度の認識しかなかったはずだ。だから、能天気に警察が来るまでノーノ―と寝ていられたのだ。
 母親との接見で謝ってばかりいたというのは、警察で重大事犯の犯人扱いをされて初めて、自分のやったことは悪いことだったのだと気が付いたからだ。幼稚と言おうかバカと言おうか。コメンテーターが言うような「大人だから親に責任はない」レベルの大人などではなく、常識も弁えない子供である。つまり、彼の成育歴に問題があり、本人の資質というよりは、親にも根本的な考え方の欠陥があったとしか言いようがない。親にも責任がある所以である。
 もう亡くなられたが、東京女子大で教えていた川上源太郎さんの著作、『親の顔が見たい』は大ベストセラーになった。以前は躾のいいお嬢様女子大だったのに、東京女子大の教え子たちの振る舞いが悪くて頭にきた川上さんは、親の顔が見たいと書いたのである。
 高畑淳子さんは「親の顔が見たい」と言われる前に、さっさと出てきて涙ながらに謝ったが、私は終りまで会見の様子を見ながら、「この母親ではむべなるかな」と感じた。まだ、彼女自身は息子のことを心の中では庇っているし、被害者よりはるかにわが子が心配なのである。親として当然とは言えない。
 そういう意味では、彼女も五十歩百歩、しでかしたことへの認識が甘い。「可哀想に、裕太君、ムラムラしちゃったのね」と思っていかねない。はっきり言って高畑淳子さんもバカ母である。
 子供に起こるいかなる事象も親の育て方に起因しているというのが、私の持論である。人間1人を育てる親業とは難しい。スマホやPCなどのツールに頼らず目と目を突きあわせ向き合って子育てしても上手くゆくとは限らない。だが、親業とはどれほど困難でも何にも代えがたい価値のある仕事なのである。