土方歳三は、さしずめ幕末のディーン・フジオカか

 

 恵比寿のガーデンプレイスにある東京都写真美術館で、『夜明けまえ 知られざる 日本写真開拓史』という展覧会が開催されている。
 期間は本年の3月7日(火)から5月7日(日)までである。
 19世紀の半ばに日本にもたらされた写真術によって、まだ、ちょんまげ姿の武士や、丸髷の女たちを撮った幕末の日本人が沢山写真に残されている。それらの集大成の展覧会である。もちろん当時の街並みの写真もある。
 恵比寿駅からガーデンプレイスまで動く歩道で移動する途中に、当展覧会の宣伝用の大きな土方歳三の写真ポスターが掲げられている。
 この写真は昔々、教科書で見た記憶があるが、この展覧会の中ではもっとも有名な写真の1つだ。
 本物は掌に乗るようなちっちゃな写真だったので驚いた。
 写真のキャプションには、「箱舘市中取締 裁判局頭取 土方歳三」とある。もちろん書き順は右から左である。今の函館市が当時は『箱舘市』と書かれていたのである。「裁判局頭取」だから偉い人である。
 彼は新選組の中での超有名人、局長の近藤勇よりも後世では人気がある。新選組副長として「鬼の副長」と恐れられた。規律を乱すものに対して厳しく、切腹を申し付けたという。
 色白で、当時にしては長身のイケメン、京都の花街の女たちから、わんさかと恋文が送られてきたほどだから、現代の映像作品ではよく取り上げられる。
 おかげで、今回の写真展では、図録の表紙にも、宣伝チラシの表紙にも、土方歳三の写真が使われている。
 美男である。
 誰かに似ていると思ってシゲシゲ眺めていると、「そうだ」と気が付いたのは、ちょっと面長の顔の輪郭といい、すずしげな奥二重の目といい、ディーン・フジオカさんに似ていると思ったのだ。
 オールバックの短髪でシャツの上に着ているのは、写真で見る限り、生地の厚いコールテンのような背広仕立てのジャケット。下半身はわからない。
 函館の五稜郭で、最後は銃弾で腹を撃たれて死んだ。
 もったいないことをした。
 追われた方の幕府方ではなく、新政府方の人間であれば、明治政府で元勲の1人になれたかもしれないのに、北海道まで敗走して、挙句の果てに撃たれて死んだ。局長の近藤勇は板橋で刑場の露と消えた。
 土方が箱舘で死んだのは、明治2年、わずか35歳だった。
 もったいないことをした。
 土方の他に近藤勇の有名な写真もあったし、不鮮明だが薩摩藩の名君、島津斉彬の肖像もあった。もちろん、有名な最後の将軍、徳川慶喜や明治天皇のご真影もある。
 人物だけでなく、私が興味をひかれたのは幕末の風景である。
 中でも、「江戸のパノラマ」や「愛宕山から見た江戸のパノラマ」、「大阪城から見たパノラマ」が面白い。
 当時は高いビルがないので、瓦屋根が同じ高さで整然と続く。広角レンズがなかったので、例えば「愛宕山から見たパノラマ」は4枚の写真を繋ぎ合わせて作られてある。白壁に黒い瓦屋根と、今の高低デコボコの風景よりも、同じ高さで、よほど整然としていて美しい。
 また、私が興味津々で眺めたのは、「西南戦争・田原坂」という写真である。
 下野した西郷隆盛が西南戦争で新政府の官軍に抵抗して、追い詰められた挙句、切腹したのは城山である。
 「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」と複数の歌に詠まれた歴史上の有名な場所だ。私は薩摩藩・熊本県へはあまり行ったことがないが、「田原坂」と聞くと、日本人の血が騒ぐ。
 その田原坂の明治初期の風景が写真の中にくっきりと残っているのである。驚いた。それは草木の生い茂る、どうということないなだらかな坂なのだが、なんと、真ん中に電信柱が立っていて、電線が左右に敷かれているのだ。
 えーっと私は驚いた。
 熊本県の郊外、山の上までもうこのころ電線は敷かれていたのか。
 西郷が城山で切腹したのは明治10年である。
 この写真展に西郷さんの写真が1枚もないのは残念である。
 聞くところによると、上野の西郷さんの銅像は似て非なるお顔だそうだ。弟の従道の写真は残っていて、侯爵にまでなった人だから、お兄さんの写真もありそうなのになんで隆盛さんのはないのか。
 さて、今回の写真展、他にも、新橋駅や竹橋、まだ寂しい両国橋や亀戸天神など、興味深い風景が満載である。
 先人が残してくれた当時のリアリティある写真たちに、ワクワクするような感動がある。そういえば、わが実家にも明治初期の写真がいっぱいあるのを思い出した。忙しさにかまけて、近頃は古いものを全く見なくなったが、またぞろ引っ張り出して眺めてみたいと思う。
 デジタルのデータで撮る写真よりも、よほど印画紙や鶏卵紙に残されたこれらの不鮮明な写真の方が情緒がある。
 歴史の彼方の人々の息遣いまで感じられる気がするからだろうか。
 この写真展、一見の価値ありである。