国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵 第二部の絢爛

 

 私は歌舞伎の熱狂的ファンでも何でもないのに、ある人の紹介で「仮名手本忠臣蔵」を国立劇場で見ることになった。大昔、建て替え以前の歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」を見たことはあったが、今回のように、通し狂言として全編が上演されるものの第二部を見る経験は初めてだ。真ん中だけでも十分忠臣蔵世界を堪能した。
 関心のない人には申し訳ないが、第二部のキモは有名な「おかる・勘平」の物語である。赤穂浪士の仇討ちばなしの舞台版だから、本来は討ち入りに至る苦労の顛末が続くはずで、色物はない。ところが、おかるという美女と恋愛して仇討ち相談に駆けつけられなかった勘平の苦悩が話の中心である。
 第二部の構成は以下の通り。
◯浄瑠璃。『道行旅路の花聟』・・・早野勘平(中村錦之助)と腰元おかる(尾上菊之助)
◯五段目。『山崎街道鉄砲渡しの場』『山崎街道二つ玉の場』・・・早野勘平(尾上菊五郎)と千崎弥五郎(河原崎権十郎)
◯六段目。『余市兵衛内勘平腹切の場』・・・早野勘平(尾上菊五郎)とその女房のおかる(尾上菊之助)、祇園へ身売りするおかるを迎えに来ている一文字屋お才(中村魁春)
◯七段目。『祇園一力茶屋の場』・・・大星由良之助(中村吉右衛門)と遊女おかる(中村雀右衛門)、由良之助の動向を探りに来た元主家の家老・斧九太夫(嵐橘三郎)
 大星由良之助とは即ち、実際に起こった浅野内匠頭の切腹とお家断絶を承服できない赤穂藩の国家老・大石内蔵助のことである。吉良上野介の首を取るまで苦労に苦労を重ねて、ついに吉良邸に討ち入るまでが描かれる。大石はわずか45歳で切腹したのだ。私の息子と同じ年、ドラマでも舞台でも、映画でも、大石内蔵助というと私はてっきり50代から60代だと思っていたから驚く。
 「おかる・勘平」は今のテレビドラマでいえば、さしずめ、大忠臣蔵物語から派生したスピンオフドラマであるナ。
 六段目は、早い話が、自分の女房おかるの父親・与市兵衛を、イノシシと誤って撃ち殺したと勘違いした勘平が切腹して果てる顛末だ。
 七段目では、一力茶屋で放蕩している由良之助に、志士たちが決断を迫りに来るが、スパイだらけの周囲に気配りして本心をあかさない大星。
 だが、山科から息子の大星力弥が持ってきた亡き主君の未亡人からの密書を九太夫に盗み見られて、由良之助が成敗する大団円である。絢爛豪華な一力茶屋の遊郭の場面で、酔っぱらった由良之助の虚々実々の駆け引き芝居を、中村吉右衛門が貫禄の仕切りで演じる。
 多少、吉右衛門さんの声が小さく聞き取りにくい難はあったが、背が高く人品骨柄申し分のない彼の舞台は、やっぱり圧巻である。
 吉右衛門さんといえば、先ごろ、長年続いたフジテレビの「鬼平犯科帳」が150回を最後に終わるというニュースがあったばかり。落ち目のフジの中の優良コンテンツを止めてどうするんだ?
 タイトルバックで、あの春夏秋冬の風景を背景に演奏されるジプシー・キングスの「インスピレイション」がめちゃくちゃ素晴らしくて、最後のあのテーマ曲を聴くために見ていたようなものだったのに、非常に残念至極である。
 吉右衛門さんといえば、かつて私は京都の薄暮の刻、色っぽい花街の先斗町で突然散歩中の彼に遭遇した。すらりと背が高く、ベージュのトレンチコートをお召しになってすごくカッコよかった。思わず、「あら、吉右衛門さんだ」と夫に言うと、彼は照れたようにニコニコしてこちらを向いてくれた。丸ごと紳士の風情だった。京都の花街と現代紳士の取り合わせなのに、不思議とあたりの雰囲気に溶け込んでいて、さすがだと思った。われわれのような旅人とは違うのだった。
 吉右衛門さんと2枚看板の尾上菊五郎さんは、おかると夫婦になって猟師をしている場面から登場した。私の席はちょうど花道の真横だったので、五段目でドタドタとイノシシを追って花道に姿を現す場面から彼を間近で見られた。お歳を召したなあと思った。薄汚い野良着の衣装だし、多分、顔も日焼け色に塗っていただろうから仕方がないが、勘平の苦労が滲み出ている。
 最後の切腹の場面では、舞台中央で正面向いて、腹と首に血糊がべったり。勘平は舅の与市兵衛を鉄砲でイノシシと間違って撃ったと思って割腹したのだが、実は与市兵衛は刀で切られており、おかるの身売りの内金の50両を盗んだ、ならず者に斬られたのだとわかる。つまり、勘平は図らずも舅の仇を討ったのだったが、時すでに遅し。勘平は死ぬ。
 大向こうから、「音羽屋!」と威勢のいい声がかかる。
 リアリズムの対極(早く、傷口を押さえてやらんかい、と言いたくなるが)にある修羅場の見せ場である。男臭い菊五郎さんの華やかな独壇場だ。
 午前11時から午後4時15分まで、お昼の食事時間35分を挟んでの5時間越え(!)の長丁場。日頃、分刻みでセカセカと仕事ばかりしている私にとっては、一見勿体ないと思える時間の長さだったが、久しぶりの命の洗濯だった。
 ちょうどこの日は文化の日、休日の夫と一緒に観たのだが、夫は途中で結構居眠りばかりしていた。「見ないと勿体ないでしょ!」と突いても、男性は観劇中、必ず居眠りする。ああ、料金が勿体ない。
 歌舞伎座に比べて、国立劇場の歌舞伎のお客は着物姿が少なかった。