人間を選別する思想の薄気味悪さ

 

 2000年頃に、フランスで作られたサイコ・サスペンスの気味の悪い「クリムゾン・リバー」という映画があったのをご記憶だろうか。マチュー・カソヴィッツ監督の作品で、主演はジャン・レノ、まず、猟奇的な殺人事件が発覚して物語が始まる。
 目玉をくりぬかれ、両手両足を切断された遺体が、地上50メートルの崖で発見されて、パリ市警のニーマンス警視が派遣されるのだが、このニーマンスにジャン・レノが扮している。鼻の尖んがったあの俳優だ。
 この映画の中に出てくるのが、アルプスの麓のゲルノンに作られた学校で、この学校の生徒は格別に選別された優秀な遺伝子を持つ子供たちばかりであった。つまり、ナチス・ドイツと同じで、人間を選別して優れた人種だけを特別視する歪んだ考えの学校である。
 そういえばナチス・ドイツには「断種法」があった。劣った(とナチスが考える)人間にパイプカットを強要する法律だ。
 「クリムゾン・リバー」の中の殺人事件は、別の墓荒らし事件とやがてリンクするのだが、往々にしてヨーロッパでは、人間選別の思想をテーマにしたこのようなフィクションが書かれている。
 ここではそれらを取り上げるのではなく、1月30日に日本の「旧優生保護法下で強制された不妊手術について国に損害賠償を求める提訴」がなされたので、ふっとこの映画のディテールを連想したのであった。
 ヨーロッパだけではなく、わが国にも似たような思想は近い過去まで存在していた。例えば、強烈な差別で苦しめられていたハンセン病の人たちに、公然と不妊治療が施されていたのである。
 テレビの民間放送連盟賞審査で地方へ行くと、報道部門で、よくハンセン病患者の強いられた苛酷な歴史についての告発作品があった。その中では家族のいない患者たち(肉親たちとも縁切りを強要された)が、過去にお上から強いられた手術の模様が詳しく語られていたのである。
 これはハンセン病(昔はライ病と呼ばれた)に対する誤った認識で、遺伝子を残さないために断種が強行されたからである。
 今回の訴訟は、現在60歳の女性が15歳の時(つまり、ほんの1972年頃のことだ)、遺伝性精神薄弱を理由に強制的に不妊手術を受けさせられたことに対する訴えである。卵管の峡部を縛って卵子が子宮に行かないようにする手術で、女性は数々の被害を被ったとする内容だ。
 手術後、女性は度々違和感や痛みを覚えて入院した。人工的に卵管を縛ったので、卵巣組織が癒着する卵巣嚢腫を起こしていて、右の卵巣を摘出せざるを得なくなった。
 女性の主張は「子供を産み育てるという憲法13条で保障された自己決定権や幸福追求権を侵害された」ということである。
 旧優生保護法は平たく言うと「バカや精神病の人は子供を産んではまかりならん」という呆れた差別法である。勝手に不妊手術を施された人の中には、わずか9歳の女の子や10歳の男の子もいた。9歳だと恐らく初潮も来ていない年齢で、こんな子供に不妊手術とは理不尽も甚だしいのだ。
 ここでちょっと説明を加える。
 旧優生保護法とは何ぞや。
 『ナチス・ドイツの「断種法」がモデルの国民優生法が前身。「不良な子孫の出生防止」を掲げ、障害を理由に本人の同意なしでも不妊手術を認めた。手術の必要性は医師が判断し、都道府県が設置する審査会が諾否を決めていた。手術を強制する際の身体の拘束、麻酔の使用、欺罔(ぎもう)なども認められ、手術を受けた人が結婚する場合、相手側に不妊手術の事実を通知するよう定めていた』(毎日新聞朝刊、2018,1,30)。
 何という人権を無視した非道な法律だろうか!
 この旧優生保護法はやっと1996年になってから、母体保護法に改定されたのである。旧優生保護法が施行されていた間に、全国で16,475人もの多くの人が本人の同意もないままに不妊手術を強行された。
 ①  北海道 2,593人
 ②  宮城県 1,406人
 ③  岡山県  845人
 ④ ・・・47番目 沖縄県 2人
  という具合である(毎日新聞調べ)。
 理由は「遺伝性精神薄弱」、「精神分裂病」、「遺伝性精神薄弱+てんかん」、「てんかん」などである。「てんかん」の人のどこが悪いの?
 しかも、国は記録を破棄している場合がある。無理やり手術した証拠が残されていないのだという。踏んだり蹴ったりだ。
 女性は1,100万円の損害賠償支払いを求めて、仙台地方裁判所に提訴した。被害者救済に必要な立法措置を怠った国の責任について追及している。
 人間には差別意識が歴然とある。しかし、国民の1人として平和に暮らしている人間を、法律でひとくくりにして、遺伝性の疾患があるからと排除する思想はどう考えてもおかしい。この提訴の成り行きを私は見続けたいと思う。
 まるで正反対の現象だが、優れた遺伝子から生命を作り出すクローン技術についても、私は認めない。神様を冒涜する行為だと考えるからである。この世に存在する自然のものは、すべて神様のご意思によって作られていると思うのだ。