京都の元離宮 二条城が一口城主(募金)を募集中である

 

 所用で大阪へ行ったので、1夜、京都に泊まり、半世紀ぶり(?!)に二条城へ見学に行ってきた。京都には実家の両親の墓もあるので、年に数回は行っているのに、何で国宝も重文もあるこのお城に長く行かなかったかといえば、かつての印象が最悪だったからである。
 大昔に行った時には、ハイヒールを履いていた。あそこはほとんどの通路が砂利を敷き詰めてあったので、ピンヒールの先が砂利に食い込んで歩きにくいったらなかった。今回はウォーキングシューズで行ったので、全く疲れず快適な見物道中となったわけである。
 昨年放送されたNHKの大河ドラマ「真田丸」の終わりの方で、徳川家康が老いさらばえた姿ながら、豊臣方を滅亡させるために、この二条城で軍議を開き、大坂方に出陣して戦う場面が何度も出てきた。つまり、二条城は家康が権力を駆使して、西日本の大名たちに築城をさせた城であって、江戸から出てきては様々に利用する、いわば出先機関だった。
 京都駅から地下鉄烏丸線に乗って、烏丸御池駅で東西線に乗り換え、二条城前駅で降りると目の前がお城。ところが、今回は東大手門が大改装中で、えんえんと北大手門まで歩かされた。京都御所の周りも長いが、二条城の一遍も長い長いのでくたびれる。
 北大手門で入場料を払う。大人600円である。シニア代金はない。
 私は国宝の二の丸御殿に1番関心があったので、ここでじっくり見学しようとしたら、初めにケチが付いた。
 土足を脱いでスリッパに履き替えねばならないのだが、女の人の声でスピーカーががなりたてている。
「個人の人も団体入り口から入ってください」。
 団体入り口なる場所がすさまじいことになっている。スリッパのでかい箱があるにはあるのだが、中はどれもが空っぽ。誰かが脱いで1足入れたので、私がそれをピックアップしようと屈んだら、横から男の手がニューッと伸びてきて、スリッパをひったくられた。見ると若い中国人か韓国人かである。
 気がついて見渡すと、団体さんは全員が中国人か韓国人で、マナーもへったくれもない。大声で喚きながら、我先にスリッパの取り合いである。
 脱いだ人は箱の中に乱暴に投げ入れる。下品そのもの。
 結局、私はスリッパに巡り合えず、仕方がないので靴下のままで廊下を歩き始めた。と、そこに制服を着た係の女の人がいたので、「これ、ちょっとおかしいのではないですか」と文句を言ってやった。
「個人の客は団体さんより高い入場料を払っているのに、ろくにスリッパもないのはおかしいでしょう。私は履かずに歩くけど」と目を三角にして抗議した。
 制服さんは慌てて、「この先に歩きにくいところがありますから履いてください」と言って、どこかからスリッパを調達してきた。天下の二条城、世界遺産の大観光地の施設の、余りにもお粗末な設備である。
 そういえば、このお城は戦前に京都市にお下げ渡しになった建物なので、運営しているのは行政である。ははん、道理で役人ポイおばさんたちはサービス精神もないし、やる気もないんだナ。
 そのくせ、300円を出すと何かをくれて募金できることになっていて、私が資料を買おうとしたら、定年過ぎのようなおじさんが飛んできて、「買ってください」としつこく勧められた。もっと堂々と「文化財保護のため」と表示して募金をすればいいのに。姑息に物売りなどしないほうがいいと思う。
 さて、目当ての二の丸御殿で国宝を次々に見た。何といっても徳川幕府終焉の時、大政奉還が行われた大広間である。私の印象は「案外小さいなあ」という感想だった。時代劇で散々見知っている大政奉還の場面では、もっとずっと大きな、名の通りの「大広間」に思えたが、実際の大広間は狭い感じがする。
 将軍の権力を誇示するために、一の間(上段の間)には将軍が座るが、背後には書院造の定番である床の間、違棚、付書院、帳台構がある。一段下の二の間には対面する相手が座るのだが、一の間はたたみ48畳、二の間はたたみ44畳である。計92畳もあれば大広間に違いないが、私は案外狭く見えると驚いたのだ。
 大政奉還の時、つまり、慶応3年の10月に、京都にいた諸藩の重臣を集めて、ここで将軍が朝廷に政権を返すと宣言したのである。
 第15代将軍、徳川慶喜がここで大政奉還を宣言したと思うと感慨深いが、東京の私の家のあるあたりには、慶喜の痕跡が多々あって、それらを見聞きすると、慶喜さんは将軍と呼ぶよりは、好奇心旺盛なその辺のオジサン的な人なのである。
 カメラが好きで、自転車が好きで、自転車に乗ってここらあたりにひょこひょこ出かけてきたらしいのだ。まあ、それは置いておく。
 他に将軍の御座所だったらしい白書院や公式面会所の黒書院、訪問客やおつきが待機した遠侍などいろいろあるが、いずれも絢爛豪華な狩野派による屏風絵が華やか。ただし、レプリカである。
 二条城でもう1つ私が関心を持ったのは、庭に置かれた2つの釣り鐘である。昔は電話もインターネットもなかったので、幕末の頃、風雲急な中で、急ぎの用事を伝達する手段として鐘が使われた。二条城と所司代の両方に鐘がつるされて、「ゴーン」と鳴ったら、向こうも「ゴーン」とやっていたのに違いない。
 西部劇の狼煙みたいなものだナ。
 ちなみに、昨年末で一口城主募金は376,877,881円が集まっているそうだ。