テレビドキュメンタリーから聞こえる声の分析というユニークな研究

 

 1971年ごろ、NHKの教育局教養部というところで、『人間列島』の総称でドキュメンタリー番組が放送されていた。その中の1つにドキュメンタリストとして有名な相田洋さんが制作した『人間列島 祖国』という作品がある。
 毎年春にNHK放送文化研究所が主催するフォーラムで、今年発表された研究の1つ、「NHKドキュメンタリーから聞こえる声」は、作品の出す音声について分析したユニークな研究発表であった。研究者は宮田章さんという58歳の研究員。
 その研究の1つの素材として『祖国』が使われて上映されたのだが、まだ画面は幅広くなくて四角い昔風である。
 30分番組から出てくる音、人の声や周りの音や、ナレーションや伴奏音楽などの統計を取って、今の時代のドキュメンタリーとの比較もしている。ちょっと普通じゃ思いつかない切り口である。なかなか面白かったのだ。
 昭和11年に満州にわたり、戦後に娘と一緒に引き上げてきた新井米子のドキュメントであるが、米子の母親のタキ(つまり、米子の娘・啓子の祖母)には、以前、米子は死亡と伝えられていて米子の位牌もあり、タキと米子は断絶していた。中国には米子の中国人の夫と啓子の他の子供もいたが、「いつか中国に戻れ」という意味で娘を同行させたのだという。
 いわば、国策により大陸に渡った300万人もの人たちの親子3代に亘る悲劇の1つを描いているのである。
 紙幅の関係で細かく書けないが、このドキュメンタリーでは、宮田氏が名付けた(自生音)の比率が大きい(25%)。(自生音)とは取材を受けている被取材者同士のやり取りとか、自然の物音とかで、取材者が相手に質問するインタビューなどは自生音ではない。
 平たく言うと、このドキュメンタリーでは、最初に啓子が友達とサッカーに興じる場面で、ナレーションが人物の紹介を話しているが、子供の笑い声やボールを蹴る音などが大きく聞こえるのである。
 中間部分には米子と友人の会話やおばあちゃんのタキと啓子の会話が続く。つまり、(自生音)が主要になる。この研究者の言葉を借りれば、「声の配置が設計的」ということになる。作り手が計算して音の配置を決めているということか。
 現在のドキュメンタリーでも被取材者に語らしめるタイプの作品があるにはあるが、『人間列島 祖国』が作られた時代に多い(自生音)の比率が大きく、「声の配置が設計的」なドキュメンタリーは現代ではあまりみられないのだそうだ。
 私に言わせれば、見ている方は「音の配置」なんかどうでもいいのだが、作り手のプロの人たちから見れば、そこにこそ効果的に視聴者を作品世界に引き込む奥の手があるのかもしれない。
 『祖国』を作った相田洋さんは、極めて優れた制作者であったが、もっとも有名な作品に『電子立国日本の自叙伝』がある。ゴールデンアワーを使って放送されて大反響も得たが、私は細かいことをすっかり忘れたのだが、当時連載していた週刊新潮の『たかが、されどテレビ』で褒めたのかしらん。
 ある時、ものすごい荷物が送られてきて、開けてみると『電子立国日本の自叙伝』の本であった。相田さんがプレゼントしてくださったわけ。猫に小判でなければよかったが。
 時代は変わって、今や果たして日本は電子立国なのかどうか。
 それはさておき、休憩を挟んで後半に取り上げられたのは、同じく1971年に放送された「ドキュメンタリー」枠の『ある生の記録』であった。
 これは社会番組部という部署が作った作品で、筋ジストロフィー患者の少年の記録である。少年の名前は高野岳志君、全く歩けなくて這って移動する。周囲の誰もが車椅子に乗る時さえ手助けはしない。筋肉を使わないとすぐさま衰えてしまうからである。
 彼は2歳半ごろからよく転ぶようになり、小学校入学の直前に筋ジストロフィーという病気の診断がついた。9歳で療養所に入った。現在、筋ジストロフィーの患者は全国で2,3万人ほどいるという。
 岳志君は27歳で亡くなったが、それまで、彼は何でも自分でやろうと努力していた。両親が施設に面会に来て、彼らが帰る時に、部屋から俯瞰で両親を見送る少年の後ろ姿が、とてつもなく哀切であった。人間の運命とはと考えさせられる。このドキュメンタリーは別バージョンの作品が、外国のテレビ祭でグランプリを取ったそうだ。
 ここでは(自生音)が32%、インタビューが26%、ナレーションはたったの2%で1か所だけである。70年代初頭のドキュメンタリーは、(自生音)や顔の見えない声などの多彩な声を設計的に配置して、巧みな音声表現をしているが、現代の作品では、顔出しインタビューの声が中心で、声の多様性が減少していると宮田さんは結論付けている。全体に音声表現が平板になっているという。
 これには別の理由も考えられる。
 ハードの性能が70年代と今では劇的に変化していて、当時は映像と音が別々にしか採れなかった。だから、音声は好き勝手に入れられるので、設計もしやすかったのではないか。デジタル時代の今は、何でも一発で採れちゃうし、性能もいい。
 現在は映像が主導のシンプル方式である。70年代は映像と音声が別々だったから、自分が好き勝手なポジションで録音していたダブル方式、これは80年代初頭まで続いたのだ。
 宮田氏は当時の「設計的な声の配置」の仕方に学ぶところがあるのではないかという。なるほど。さすがはドキュメンタリーのプロ。われわれ視聴者はのほほーんと画面を見ているだけだが、作り手の「設計的」なテクニックによって、感動させられたり、丸め込まれたり(笑)しているわけだ。
 3日間にわたるフォーラムのうち、仕事のために後の2日は出席できなかった。最終日の『検証100%朝ドラ!!』というシンポジウムは聞きたかったが、パネリストの顔ぶれがイマイチで食指が動かなかったこともある。
 皆様、ご苦労様でした。