エロい女を描いた世紀末の芸術家、グスタフ・クリムトが自画像を描かなかった理由(わけ) ~『クリムト展 ウィーンと日本 1900』 東京都美術館から~

 

 世紀末の芸術家と言うと、すぐ思い出すのはグスタフ・クリムトとエゴン・シーレである。この2人は同じ工芸学校で学び、クリムト(1862年)はシーレ(1890年)のことを可愛がったという。
 そのクリムトの大展覧会が上野で開かれている。4月23日から7月10日まで。
 『クリムト展 ウィーンと日本 1900』である。
 猛暑の日のお昼過ぎ、見に行った。
 平日にもかかわらず、東京都美術館の入り口は大混雑していて、しばらくの間、入場制限で待たされるほどだった。日本におけるクリムト人気を改めて知らされたのである。 
 私はシニア料金で1,000円。
 雰囲気でわかるはずなのに改めて年齢の証明書を見せろと言われた。
 免許証はすでに返納してあるので、それに代わる運転の経歴書を提示して入館を許された。
 芋の子を洗うような混雑で、ほとんど進めない。加えて、私の前に車椅子の男性が女性に車を押されて行くので、自分のペースで鑑賞ができない。たまたま私の順序が前になった時、思いっきり後ろから脚を蹴られた。座っている男性が大きくて、車椅子の先からデッカイ靴がニューッと突き出しているのだ。その靴先で突かれたらしい。
 「痛てっ」と思ったが美術展の中、ぐっと我慢。
 こういう展覧会でいつも思うのだが、芸術鑑賞の場に、初老のオバサンたちは、なんで仲間とつるんで来るのだろうか。私はクラシックの演奏会でも美術展でも、家族と来ることはあっても、絶対におしゃべりの相手の女友達たちとは来ない。集中力が阻害されるからである。
 この展覧会でも眼鏡をかけたオバサンの塊りがそこここに見られた。
 確かに大声ではおしゃべりしていないが、クスクス笑いあったり、肩を叩きあったりしていて、「ねえ、そこのオバサンたち、ホントに芸術鑑賞に来たの? もっと集中してみたら?」と腹の中で文句を言ってやった。
 さて、いよいよクリムト展のスタートである。
 第1章は『クリムトとその家族』
 クリムトは家族愛にあふれた人だったらしい。早く亡くなった父親代わりに、彼は母親と姉と妹、弟たちと一緒に住んでいた(後述)。
 エゴン・シーレには個性的な歪んだ顔の素晴らしい自画像があるが、クリムトは自画像を描かなかった。あるいは残っていないのか。
 自画像を描かなかったのは、クリムトの審美眼に自分の顔の造作が合格しなかったからではないかと私は独断で考える。結構沢山残っているクリムトの写真を見ると、あまり美男子とは言い難いからである。
 25歳頃の最新流行のファッションに身を包んだ青年・グスタフの写真は、それなりに自信に満ちた眼をしているが、髪は猫っ毛で少ないし、髭もあまり伸ばしていなくて美的とは言い難い。
 数多く撮られている庭に立った姿は、例えば、1911年(49歳)の猫を抱いて裾まで届く長い部屋着の写真は、頭はてっぺん禿げだし、顔はカボチャのようにデカいし、薄汚い中年親父である(失礼)。
 他にも、数多くいたクリムトの恋人たちの中で、弟・エルンストの妻の妹であるファッションデザイナーのエミーリエ・フレーゲと一緒に写った写真も、まだ30代だというのにてっぺん禿げは見えるし、カボチャのようにデカい頭も歴然としている。
 展覧会の主催者が読んだら怒り狂いそうな事ばかり書いているが、クリムトを貶しているのでは決してない。私はグスタフ・クリムトの作品は大好きであるし、ヴェネチアのムラーノ島で買ってきた巨大なガラス絵は、クリムトへのオマージュのような美しい作品である。
 生涯結婚しなかったグスタフ・クリムトだが、彼に愛し合った女は一杯いたし、子供も産ませた。そういえば、てっぺん禿げの彼のような風貌の男性は精力絶倫と聞いたことがある。
 モデルのアンナ、モデルのマリー、モデルのコンスエラたちはクリムトの子を複数産んでいるし、後に大作曲家、グスタフ・マーラーの妻となるアルマ・シンドラー(結婚後はアルマ・マーラー)とも関係があった。うあー、お盛んなこと。
 その一方で、家族愛にあふれていたクリムトは、早く死んだ父親代わりに、鬱病の母親と鬱病の姉と、妹たちと一緒に住んでいた。そもそもクリムトの家族は大家族だった。
 1番上が姉のクララ、2番目が長男のグスタフ、その下に妹が3人(ヘルミーネ、アンナ、ヨハンナ)、その下には2人の弟(エルンスト、ゲオルク)で、妹のアンナは早くに亡くなり、姉のクララと妹のヘルミーネは生涯独身だった。
 長男としてグスタフは色々苦労があったのだろう。
 金工師だった父親がグスタフ30歳の時に脳卒中で亡くなり、同じ年に弟のエルンストも心膜炎で急死した。だから、芸術家として名が出始めていたが、若くして大家族の重荷が長男の彼の双肩にずっしりとかかっていたのだ。能天気に自画像など描く気にならなかったのかもしれない。
 それに、エルンストは結婚していて小さな女の子を残したので、グスタフはエルンストの死後、彼の妻・ヘレーネの妹、エミーリエと一緒に女の子の後見人となったのだ。
 グスタフの残された様々な手紙によれば、彼は我が身の不幸せを酷く嘆いている。芸術家として名が出ても、身内の問題が山のようにあって、≪芸術家の孤高≫をカンバスに描く心境ではなかったのだろう。
 超俗の芸術家のように思えるクリムトの、いかにも人間臭い私生活を知ると、なんとなく「ご苦労でしたね」と背中の1つもさすってあげたい気分になる。
 作品では圧倒的な代表作の『ユディト1』(例の金箔だらけの裸婦像)、日本画の影響が顕著な静物画や思いがけず点数の多い風景画、てっぺんでこちらを見下ろしている赤ちゃんの目が怖い『赤子(ゆりかご)』など、みんな素晴らしかったが、私は小ぶりな複数の『男性裸体像』にくぎ付けになった。
 修業時代の古典的な習作であるが、ピカソにもピエロ姿の息子・パウロの絵があるように、後の前衛的画家の習作時代の凄いデッサン力には圧倒される。
 なんでクリムトは自画像を描かなかったかという独断話は、実は全く違っているかもしれないが、展覧会を見に行って、勝手に想像するのも、また、楽しからずや、である。