エリートの挫折に今も昔もない

 

 電通新入社員の高橋まつりさんが、一昨年の12月25日に、過労を苦にして投身自殺をとげ、昨年、厚生労働省東京労働局が電通本社や支社に強制捜査に入った。高橋さんは東大卒の才媛にして、女優のように美しいお嬢さんだったので、「なんて可哀そうなこと」と私も事件の経過に関心をもっていた。
 私自身も電通にはいささか関係があり、今でも広告電通賞の審査では、電通本社ビルに出かけるし、大昔は、友人が何人も電通の社員にいた。
 中でも大学時代の教養課程で同級生だった長野県出身のM君は大秀才で、電通始まって以来、最年少で営業局(当時は連絡局と呼んだ)の局長になった人である。彼とは今でもときどき会う。定年後、銀座にオフィスを構えて、手広く仕事をしている。
 高橋さんが理不尽とも思える長時間残業でこき使われ、鬱病になり、挙句の果てに自殺したと報道されていたので、胸が痛んだ。華の24歳で自殺されて、残された親御さんのこれからの人生を思うと気の毒でならなかった。
 ところが、『「過労自殺」後始末の違和感』という週刊新潮1月12日号の記事を読んで、違う方向への関心も出てきたのである。
 記事の大雑把な内容は、「長時間などの苛烈な残業だけが原因のように言われているのは、事件を矮小化している。実は、母子家庭で母親に楽をさせてあげたいという思いから、電通を辞めなかったことの他に、まつりさんには人材メディア会社に勤める彼氏がいて、その彼氏に別れを切り出されていたという。ちょうど、クリスマスの日に泊まりに来ると楽しみにしていたのに、別れを通告されてしまったのが引き金になったのではないか」と書いているのだ。
 自分で取材していないので、事実かどうかはわからないが、私は高橋さんの事件を見聞きして、昔の友人のことをドキリと思い出したのであった。
 私の大学時代、女子学生は非常に少なかった。教養課程での私のクラスには女は3人だけ、日比谷高校(当時の日比谷は学校群ができる前で、公立私立合わせてのトップ進学率を誇っていた)から来たSさんは学年で2番という成績抜群の女性だった。もう1人は別のナンバースクール・小山台高校から来た美人で、残る私だけが名もなき高校出身の凡人であった。
 部活で知り合った別のクラスのNさんは、丸ぽちゃでいつもニコニコしている最年少女性(18歳)で、何故か私によくくっついてきた。彼女は都下の立川高校から現役で合格した、これまた絵に描いたような秀才で、高校では「マドンナ」と呼ばれていたらしい。高校時代の写真を見せてもらったことがあるが、真んまん中に彼女が座り、周り中が男の子だった。
 彼女は都下選出の自民党有名国会議員の姪で、N家はそのあたりの名家だった。小さい時からよくできる子としてチヤホヤされて育ったのだろう。だが、挫折知らずは大学入学までであった。
 当時の就職事情は氷河期どころか、女子の4年制大学卒はほとんど価値を認めてもらえない時代だった。何しろ、メディアの中には女子の25歳定年制という非人間的な制度まで敷くトンデモ会社もあり、学歴はマイナスでしかなかった。Nさんは2流の出版社にやっと就職できたが、そこでは、編集というよりは販路拡張のために、定期購読者の勧誘ばかりをさせられていた。
 私にも電話がかかってきて、彼女が関わっている高い分厚い雑誌を取ってくれと頼まれた。プライドの高い彼女が言いにくそうに喋るので気の毒に思ったが、私は当時銀座のOLだったので、会社が既に定期購読していると断ったのである。それっきりNさんとは疎遠になった。
 数年たってから、別の友人からNさんの消息を聞いた。販拡ばかりさせられる出版社をNさんは早々にやめた。そして、どこで知り合ったのかは知らないが、東芝の社員と結婚したという内容だった。私はNさんのちょっと甘ったれたような可愛いニコニコ顔を思い出して「よかったなあ」と思った。
 ところが、次に聞いたNさんの消息は思いがけない事件だった。
 駒場で同期だった別の友人、Yさんから、突然電話がかかってきて、「Nさんが自殺した」と聞かされたのである。東芝の社員と結婚したのに、後に彼女は離婚して、名家の実家に戻っていたという。そこで、自ら死を選んだのだ。
 「事情がよくわからないので、私、彼女の実家にお悔やみに行ってくるわ」とYさんは言った。彼女は確かクラスがNさんと同じだったと思う。私はその頃、Nさんとはあまり行き来していなかったので同道しなかった。
 Nさんの実家にお悔やみに行ったYさんから、また電話が来た。
 「玄関払いをされて、お線香1つ上げさせてもらえなかった」という。「貴女はまだ生きていらっしゃる。うちの娘は死んだのよ。元気なお友達のお顔も見るのがつらいのに・・・」と母親は言って、「帰ってくれ」とケンモホロロに追い出されたのだそうだ。Yさんと私は、Nさんの親の悲嘆がどれだけ深いか思い知ったのであった。
 思うに、Nさんは小さい時からの挫折知らず。何でも思い通りに突破してきて、就職で初めての挫折を味わった。以後、結婚も離婚も自分の思い通りにゆかず、描いたバラ色の人生とはかけ離れた苦渋をもたらした。そこで、プツンと何かが折れたのだろう。エリートの初めての挫折には、回避するほどの知恵も働かなかった。自死するほどの勇気があれば、別の選択肢もあったのではないか、というのは外野のセリフだ。当事者の死に魅入られた内面は誰にもわからない。
 高橋まつりさんの内面も誰にもわからないが、今も昔も順境で育ってきたエリートほど弱いところがある。『この項、次回に続く』。