アクティベーション・プランニングって何だ?

 

 OOHメディア
 アクティベーション・プランニング
 イノベーティブ・アプローチ
って、舌を噛みそうなこれらの言葉を、大多数の普通の人は何のことやらわからないと思う。業界人以外では、普段使いもしないだろう。
 これらはみんな、今年の広告電通賞の選考別部門の名前である。
 昔はもっとわかり易かった。新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどの部門名があって、イメージできたのだが、「イノベーティブ・アプローチ」といわれても、「ハテ、何のこっちゃ」である。
 今でも新聞や雑誌は部門としてあるが、私が長く関係しているテレビ部門は消えてしまった。今年から「フィルム」部門という名称になったのである。フィルムなどというと、大昔のフィルム回しの映画みたいで、「今はみんなデジタルだよ。時代に逆行しているのではないかい」といいたくなる。偉い方々がお決めになったので、私にはよくわからない。
 部門の中の小分けされた表示にもわからないものがある。それはOOHメディアの中のサイネージ部門という括りで、ハテ、何のこっちゃ。
 アクティベーション・プランニングの中のエリアアトラクション部門というのも、アトラクションとあるから、イベントをやるのかいな、ぐらいにしかわからない。
 おーい、電通さん、わかりません。説明してください。
 私、選考委員の1人です、わかっていなくてもいいんですかね。一般審査員には、何で変更したのかの説明もないから、わからないままである。
 私は以前から、カタカナ交じりの表現を有難がる人を「見栄張り人間」と思っていて、彼らとは一線を画してきた。
 私は自称、フランス人的なところがあって(大学での専攻がフランス文学科であったこととは関係がない)、へそ曲りなのだ。
 フランスへ行ってごらん。フランス語をめちゃくちゃ大事にしていて、何でもかんでも、外来語はフランス語で言い直す。英語なんか絶対にありがたがらない。近頃は英語も通じるが、20年位前までは買い物もフランス語でなければ売ってくれない店もあった。観光協会などのサービス機関以外では。
 その代り、下手なフランス語で一所懸命に喋ると、我慢強く聴いていたマダムが、「あーウイ、トレビヤン」と、外国人の努力を褒めてくれたものだ。
 コンピューターに関する言葉については、そもそも概念がなかった物もあるので仕方がない。今では普通に使っている「ログイン」、「インストール」、「アクセス」などは、パソコン始めの頃、意味を理解するのに苦労したのである。
 近頃気になるのは、官僚が作る公文書を、法律により情報開示請求すると、見られてはマズいと彼らが考える個所を、やたらに黒く塗りつぶしてある。あるいは、個人情報保護法とやらで、個人名を隠すために黒く塗りつぶす。
 それらを不細工なオジサンまでが、「マスキング」という。『仮面の男』の「マスク」からとった「マスキング」であろうが、これって、「黒塗り個所」と言った方がずっとわかり易いのではないか。
 なんでわざわざ横文字を使って「マスキング」などというのか?
 ここは日本だろ。
 不細工の黒塗り、いや違った、不細工の上塗りである。
 脱線したのを元に戻すと、今年の広告電通賞受賞作についてである。
 テレビ部門、もとい!
 「フィルム」部門のフィルム広告電通賞はNTTドコモの「企業 25年後の夏」という企業広告が獲得した。昔からある、いささかお涙頂戴路線だったので私は敬遠したが、多くの企業のおじさま方に支持されて受賞した。
 他に、部門別の最優秀賞はキリンビールの「一番搾り」、パナソニックの「エボルタNEO」電池、Sansan株式会社の「上にやられた」という名刺管理、大日本除虫菊の「コバエがポットン」、パイロットコーポレーションの「フリクション・間違いは直せる」。
 パイロットの「間違いは直せる」はシリーズもので、居酒屋の注文に「おじや」のことを「おやじ」と書き間違えて親父が出てきた1本ほか、変な書き間違いをたちどころに消せるパイロットの製品の威力をユーモラスに表現した佳作だ。
 はっきりいって今年は目が覚めるような傑作には出会えなかった。
 何故ならば広告の連続性のために、昨年まで耳タコ目タコで何度も出品されているものを、改めて新鮮な気持ちで審査する難しさがあるからである。
 例えば、昨年、トップ当選した大塚製薬の「ポカリスエットのダンス」CMであるが、選考委員が微妙に一部代わっているので、またぞろ今年も投票する人が多かったのか、高得点であった。
 若者たちのダンス、ダンス、ダンスは迫力もあり、中々いい広告であることを認めるに吝かではないが、毎年同じ企業の同じ製品広告では困るのだ。
 ハラハラしていたら次点になって、最優秀賞の次の優秀賞止まりになった。
 帝国ホテルで行われる総会で、偉い人の演説に、よく「広告は世の中を映す鏡」的な表現が出てくる。まことにその通りであるが、肝心の表現に、先述したような選考委員でも「何のこっちゃ」と思っているカタカナ語が氾濫しているのはいかがなものかと思う。つまり、「世の中を映す」以前に何をいっているのかわからないでは、ちょっと困るのである。