すみだ北斎美術館が、いい夫婦の日に開館した

 

 JR両国駅からちょっと行ったところに、11月22日(いい夫婦の日)、すみだ北斎美術館が開館した。駅から線路沿いにあまり遠くない場所にあるにもかかわらず、道案内の立て看板一つないので行ったり来たりして時間を取られた。
 さあすが、不親切なお役所仕事。両国駅の駅員さんが地図をくれたのだが、これがまた下手くそで不親切な地図で、わかりにくい。近くには相撲部屋やちゃんこ鍋屋があったりして、およそ、美術館へ行きたい客なんか寄せ付けない雰囲気なのである。美術館につく前に、頭に来た!
 それは置いといて。
 すみだ北斎美術館がここに開館したのは、かの有名な版画作家の浮世絵師・葛飾北斎がここで生まれて、この界隈では93回も転居はしたが、他地方へは移動もせず、本所・向島で90歳という長寿を過ごしたからである。
 北斎は宝暦10年、1760年に本所割下水付近に生まれた。1849年4月18日、浅草聖天町遍照院境内仮宅で没する。
 浅草誓教寺で葬儀が行われた。
 自らを「画狂人」と称したほどの「お絵描きマニア(?)」だった。美術館の中には常設展示館があり、そこに北斎のアトリエという模型展示もある。ちっちゃな和室の中に、奥には娘の阿栄がいて、手前には84歳当時の葛飾北斎おじいさんが、畳の上にじかに紙を敷いて絵を描いているのだ。
 この人形たちがものすごくリアリティがあって、北斎さんの髪が後退した禿げ頭の様子、筆を持っている手や左手の静脈の浮き出し方、老人性のシミまで見えるような写実の極みなのである。しかも、時々、手が動く。見ている方はギョッとする。いやあ、驚いた。
 常設展示室は7つの部分に分かれていて、<すみだと北斎><習作の時代><宗理様式の時代><読本挿絵の時代><絵手本の時代><錦絵の時代><肉筆画の時代>と絵の展示と解説が書かれている。ゆっくり見たかったが時間もなくて、駆け足で通る。
 この日のメインは、今回の「北斎の帰還」という名品コレクションを見ることである。北斎作品の収集家からの作品群がずらりと並ぶ。
 有名なピーター・モース(1935年~1993年)と楢崎宗重(1904年~2001年)とのコレクションと、墨田区が独自に収集したものとの3本柱である。中でも今回の白眉は「隅田川両岸景色図巻」で両国橋から山谷堀までの隅田川の景色を肉筆で描いた7メートルもの大作である。
 今もある橋や神社などに交じって水戸藩屋敷や持筒組同心屋敷などとともに、吉原の遊郭も描かれていて、かのドラマに出てくる吉原大門もばっちりと俯瞰で描かれているのだ。
 遊郭で遊ぶお大尽の1人は、豪華な食事を前に布団に寝そべってキセルを銜えている。別の2人のお大尽は4人の花魁たちに囲まれて、酒を飲みながらの密談(?)か。食器といい花魁たちの着物といい、細かい描写が素晴らしい。爛熟した江戸時代のお茶屋遊びの風景である。
 もう1つの白眉は言わずもがな、葛飾北斎の傑作中の傑作、「富嶽三十六景」から『神奈川沖浪裏』、『凱風快晴』、『山下白雨』などがずらーり。いくら見ても飽きない緻密さで迫ってくる。
 これまでも私は北斎ゆかりの展示会にはいつも足を運んで、その度に懲りずに『神奈川沖浪裏』のレプリカや切手などを買っていた。今回もまた、ずっしりと重い図録を買った。先日は新宿の東急ハンズで年賀状に貼るシールを手に入れたが、これもまた『神奈川沖浪裏』のコピーなのである。
 なんで『浪裏』マニアかと言えば、私が好きなクロード・ドビュッシー(フランスの大作曲家)が、『神奈川沖浪裏』の絵を見て啓発されて、かの傑作交響詩「海」を作曲したからである。
 私は10年以上前、ドビュッシーの生家を訪れたことがある。
 イヴリーヌ県、サン=ジェルマン=アン=レーで彼は生まれたが、その生家の1階は観光案内所になっている。「ドビュッシーの生まれた家ってどこですか」と聞くと、制服を着たお姉ちゃんが、鉛筆を立てて、「ここ」と2階を指すのだ。超有名なフランス音楽の大作曲家でも、今時のフランス・マドモアゼルにとっては、ただの観光案内のパーツに過ぎないのである。ガクッとくる。
 本題に戻ると。当時パリでは芸術家たちの間でジャポニスムが流行っていて、目の肥えた彼らにも、葛飾北斎の浮世絵は強いインパクトを与えていた。われわれ日本人の方が、北斎の価値に気付くのが遅かったくらいだ。
 このエッセイで1度書いた記憶があるが、北斎の絵は西欧人の目から見ても、芸術的価値が高いのであるからして、東京オリンピックの開会式で『富嶽三十六景』のプロジェクションマッピングをやるべきだと私は唱えているのだ。マンガやアニメなどのオタク文化ばかりが日本ではない。遠く江戸時代からこんなに優れた芸術作品が作られていたのだ。それこそ日本文化である。
 北斎の時代にはなかった東京スカイツリーが聳える背景に、『富嶽三十六景』の赤富士や浪が浮かんでごらんよ。拍手喝采間違いなしだ。
 北斎の伝記によれば、彼は鼻と耳が大きかったらしい。情報を耳からよく集め、巷の庶民の暮らしの匂いを嗅ぎ、時代と人間を描いた。それは、21世紀の今でも価値が全く下がらない絵に昇華されて残った。
 これらを眺められる我々は幸せである。
 おーい、墨田区長さんよ。両国駅から、もっと親切な道案内看板を出せ。