『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』を読む ~不実な男との7年に及ぶ不倫の果てに~

 

 筑摩書房から発売されている、女優の有馬稲子さんと映画評論家の樋口尚文さんとの対談集というか聞き書きというか、有馬さんのこれまでのおおやけの人生を網羅したドキュメントを読んだ。
 そう分厚くはない本ではあるが、興味深くて一晩で読破してしまった。
 基本的に私が有馬さんを大好きであることと、過去に何度かお目にかかったことがあるので、そういう個人的な関心があったからでもある。
 本来ならば、かつての「銀幕の大スター」である有馬稲子さんと私に接点ができるはずもないのだが、こちらも物書き、週刊誌連載のわがコラムを読んでいただいていたのである。
 彼女が褒章をお貰いになった時にパーティーに呼んでいただいたこと。神奈川テレビ(tvk)の『佐藤しのぶ出逢いのハーモニー』のゲストでいらした時、私も立ち会っていたのでお話しできたこと。いろいろとある。
 昨年のテレビ朝日、昼の帯ドラ、倉本聰のオリジナル脚本、『やすらぎの郷』に彼女も出演した。現役バリバリである。
 『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』の白眉は、日本映画の黄金期に巨匠・名匠と呼ばれた多くの映画監督の作品で、主演や重要な準主演を務めた有馬さんが、彼女独特の観察眼で巨匠たちの人間的な側面を喝破している部分である。
 例えば、名匠・今井正。彼の傑作の1つ、『夜の鼓』(1958年、松竹)に有馬さんは主演した。
 近松門左衛門の『堀川波鼓』が原作で、新藤兼人と先ごろ亡くなった橋本忍が脚本を書いているが、この中で有馬さんは三國連太郎が演じる鳥取藩士の妻を演じた。鳥取藩士が参勤交代の江戸詰めから帰ってくると、恋女房の有馬さんがハンサムな鼓師と不倫していた。この鼓師は森雅之がやった。森さんはちょっと陰のある色男だった。
 この撮影で有馬さんは今井正監督にしごかれまくるのだ。森さんの鼓師をもてなす宴席で、別の横恋慕男(金子信雄)が上がりこんできて、有馬さんの首に脇差を突き付けて、「今、ここで承諾するかどうか」と関係を迫る。
 眉を剃り落とし、お歯黒をつけた妖艶な有馬さんが、「待って」と制する場面なのだが、さあて、今井監督は有馬さんの「待って」のセリフが気に入らないといって、1週間も撮影を止めちゃったのだ。
 今ならさしずめセクハラかパワハラで訴えられるし、それどころか、会社から監督はクビを言い渡されるだろう。金食い虫だといって。
 当時は日本映画がすこぶる儲かっていた時期で、有名監督は多分したい放題が出来たのである。可笑しいのは、三國さんや森さんや金子さんたち男優には、今井監督は余りダメ出しをしないのに、女優には超厳しかったのだそうだ。
 「今井さんというのはたちが悪いというか、(何が違う)ってはっきりおっしゃらないの。ただ、(うーん、違うなぁ。今の3つ前がよかったねぇ)なんて平気で言うんですよ。タバコをプカーッとふかしながら(うーん、違うなぁ)っておっしゃって、指にタバコがくっついて、爪が焦げるほどタバコを吸ってらした…後略」。
 目に見えるような女優いびりのシーンである。巨匠の面目躍如!
 他にも、小津安二郎、野村芳太郎、小林正樹、内田吐夢、渋谷実、中村登、五所平之助などなど、錚々たる名匠たちと彼女は映画を撮ったのである。
 その中の1人、市川崑監督とも仕事をしていた。有馬さん、21歳の時からの不倫相手である。不倫は双方の言い分を聞かなければ一概に片方を非難することは出来ないけれど、それにしても、市川さんは、典型的な身勝手男である。
 奥様は有名な脚本家で美人の和田夏十さん。2010年に日経新聞『私の履歴書』で有馬さんが赤裸々に書いた時から分かっていたが、若かった有馬さんには身勝手男の実像が見抜けなかった。それだけ真剣に愛していたのだろう。
 〇いまに妻と別れて結婚するよ。
 〇妻とは別居している。
 〇(出来たお腹の子供を)おろしてくれ。
 〇(君が中村錦之助君と結婚した後も)三月に一度でいいから今までのように会ってくれ。
 〇どうしても別れたいのなら、今まできみに注いだ愛情の責任を取れ。
 〇親友のデザイナーに電話を掛けたら、死ぬの生きるのと大騒ぎしていた監督が、奥さんと子供と一緒にプリンスホテルのプールで楽しそうに泳いでいたわよ、といわれた。
 聞きしに勝る典型的な二股男のセリフで、こんな男に7年も捧げたのだ。
 あの美貌の有馬稲子さんが、騙されていたなんてもったいない。
 そういえば、有馬さんが「子供を産みたかった」とポロっと漏らすのを私は聞いている。私も結婚直後の頃、何としてでも自分の子供が欲しかった。最初の子供を流産してから、長い間、次の子供が出来なかったので、彼女の気持ちがとてもよくわかる。幸い1人は恵まれたけれど、本当は子沢山になりたかった。
 大女優・有馬稲子さんの日本映画界に与えた貢献は称賛に値するが、その陰で、不実な男性との辛い思い出を引きずって、今でもヒリヒリしているとは。
 この本には、優れたカメラマンや俳優や映画に関わった多くの人材のエピソードが綺羅星のごとく登場する。
 さすがは銀幕を代表する大女優のドキュメント、心底面白く読んだのである。