羽生(はにゅう)づかれ

 

 あー疲れた。
 疲れた。1億2千万人の総づかれ。
 16日の金曜日と17日の土曜日、昼前からテレビに釘付けで、平昌オリンピック、フィギュアスケート男子シングルのSPとフリーの視聴でハラハラドキドキして、ぐったりと疲れた。心配で、子供の一大事の時のように疲れた。
 昔から私は羽生結弦くんの熱狂的なファンとは程遠かった。セクシーな踊りの天才・高橋大輔くんのファンだったので、その他の選手は心に入ってこなかったのだ。
 でも、今回は何故か羽生くんに絶対に勝たせたかった。怪我の後というドラマのような同情心ではなく、まだ金メダルのないわが国のために、若いトップアスリートに頑張ってもらいたかったのだ。
 技術も精神力もタフな細身の青年に、転ばないで完走してほしかったので、気が揉めてハラハラドキドキのし通しだった。実をいうと、羽生くんが競技前にメディアに対して、愛想よく喋りすぎるので、かえって心配だった。
 こんな大変なシチュエーションの時に、メディアサービスなどしなくていいよと言ってやりたかったが、後から考えると、彼は喋ることで自分を安心させていたのだった。だから、勝った時にどっと涙が出て、不安だった心の内がほとばしり出た。
 まだ、たった23歳の青年だもの、当然である。
 16日のSPはほとんど完璧だったのに、それでもジャッジは最後のスピンにレベル4はくれなかった。レベル3だった。どこが悪かったのか素人にはわからないが。この点数が彼のSPでの新記録最高点を阻んだ。
 彼はおそらく新記録を期待していた。だから、ちょっとふざけて111.68の点を、ゾロ目のサイコロを見るように1、1、1と指を立てて表現した。
 出来具合から判断して、羽生は新記録が出ると思っていたのかもしれない。トップは嬉しいが、「画竜、点睛を欠いた」結果、ちょっと新記録には点が足りなかった。その微妙な心理を反映して、1、1、1の指立てになった。
 横のオーサーコーチはただニコニコして、羽生の心の奥底までは推量できていなかったように見えた。多分、肉親の方なら彼の心理に気が付いたはずだ。
 明けて17日のフリーである。
 2位のフェルナンデス選手との差は4.1点しかない。ジャンプで1つ失敗すればアウトである。4回転の点数は、加点が加わるので失敗した時に、基礎点と出来栄え点の両方でマイナスになる。ダメージが大きい。
 このフェルナンデス君がまた実に完成された演技をする。ラテン系の濃い顔でスタイルもよく、見栄えでも得をしている。失敗できないぞ、と私は益々ハラハラドキドキである。
 出演時間の前に、控室というかウォーミングアップスペースというか、だだっ広い場所で、身体を動かしたり、特製の椅子みたいなものに乗ったり、壁におでこをつけて瞑想したりする羽生くんが映されていた。
 「こんな場所まで撮るのはやめろ」と私は心の中で憤慨した。カーテンで身も隠せないのに、準備段階の姿を撮るのは失礼ではないか。だから、着替え中に上半身の裸も撮られたのだ。映すのはリンクに登場する廊下からで十分だろう。
 フリーの演技中は心配で正視できないくらいだった。ジャンプ成功の度に会場が湧くが、心配性の私は後半にきて1度でも失敗すると印象が悪くなると、余計なことばかり考えていた。また、終わった時の羽生くんの顔をくしゃくしゃにした表情が、不満足だったのかと心配までしてしまった。
 そうではなくて、彼は「やったあ」か「勝ったあ」かわからなかったが、右の方を向いて吠えていた。あんなに華奢で中性的な見かけなのに、オスのキャラクターを内蔵しているのだと驚いた。そりゃそうだ。中性的なひ弱さでトップなんか取れない。
 キス&クライに座ってから、横のオーサーさんではないオジサンコーチと2人掛けで待っている時に、羽生くんの表情がSPの時より遥かに明るかった。オーサーさんは次の弟子のフェルナンデスくんの演技を見るためにリンクサイドにいたのだが、自分の弟子がトップを争うなんて何と幸せなコーチか。
 反対に、演技が終わって暫定1位2位3位の選手がソファに座る場所で、SPを大失敗したがフリーで高得点を出したネイサン・チェンが、上位に別人が入るために出ていく時、羽生くんが、何かをささやいて慰めていた。立ち去る選手のしおれた場面は競技の残酷さを物語っている。これぞオリンピックである。
 金メダル銀メダルを取った若い2人のお蔭で嬉しい週末とはなったが、わが子のように手に汗握って応援した私は疲労困憊した。実に苛酷な職業だ。
 最後に誰も言わないので付け加えるが、フィギュアスケートに使う音楽についてである。羽生くんのSP―ショパンのバラード1番。宇野昌磨くんのSP―ビバルディの四季(冬)。フリーの曲―プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」。いずれも極め付きのクラシック音楽の名曲である。曲自体で聴く者を感動させる力を持っている。
 しかるに、ボーカルや軟派のハヤリ曲などが解禁されてから、特にアメリカやカナダの選手などはポップスを使うようになった。演技の伴奏だと思っているのだろうが、これは大違いである。フィギュアスケートはスポーツだけでなく芸術の要素も大きい。軽いノリのポップスで聴くものを感動させる力はないのである。羽生くんや宇野くんの曲の選択が大いに貢献したのは確かである。