慟哭のパリ。私も泣いた。ノートルダム大聖堂炎上

 

 ノートルダム寺院の尖塔が焼け落ちる姿の衝撃は、とても正視できなかった。
 あの美しい大聖堂が紅蓮の炎につつまれて、10時間以上も火勢が衰えることなく燃え続けるなんて、こんな悲劇があっていいのだろうか。
 大聖堂は広場側の表から見ると2つ並んだ塔が印象的だが、横から見るとまるで巨大な戦艦のように長く、その真ん中に尖塔が立っている。屋根の部分は真上からだと長い十字架を模(かたど)ったようでもあり、この部分が激しく燃えている中心だった。
 「パリのノートルダム大聖堂が火事!」という第1報がテレビ画面に出た時から、私の心臓は動悸が速くなっていた。
 映像が映りだすと、アメリカの9.11、恐怖のニューヨーク・テロが脳裏に浮かんだ。
 ああ、ノートルダム寺院が消えてゆく!
 愛してやまないわがパリの、中心の中の中心に位置する大聖堂は、異国民のわれわれにとっても大切な祈りの場だった。
 27年前に初めてパリを訪れた時から、ノートルダム寺院は格別な存在だった。行く度に、なぜか正面には足場と工事用の幕が張り巡らされていて、中に入れないことが多かったのである。その度に恨めしく尖塔を見上げるだけであった。
 4度目くらいのパリ訪問の時に、初めて聖堂の中に入れた。
 丁度ミサが行われていて、この世のものと思えない荘厳なパイプオルガンの響きが天から降り注いできた。私は思わず襟を正した。
 カソリックの信者でなくとも、思わず跪く思いをさせる何かがあった。
 都合悪く、工事中に遭遇してばかりだった私は、まるで恋する人に会えないようなもどかしさを感じて、徐々にこだわりが濃くなっていったのだった。
 今回の火災でも、全面工事中だった。私が訪れた時、いつもいつも工事中のような感覚だったから、これまでも火災の危険は相当な確率であったのだろう。なにしろ、外部の石造りとは裏腹に、天井の内部は木製である。驚くべき構造である。
 法隆寺のような国内の紙や木で出来た建造物と違い、パリの寺院の中が木で作られていたという事実を初めて知った。仰天した。昔の人は本当に偉大だった。
 27年前には、最初にサクレクール寺院を訪れた。
 寺院の回廊を歩いていると、白い僧服の司祭様が近寄っていらした。言葉は忘れたが、小さなパンフレットを手渡ししてくださり、日本語で「よくいらっしゃいました」というようなことをおっしゃったのだ。パンフレットは総て日本語で書かれていた。
 私と同行した友人は司祭様の日本語に驚いて、ただ頷きながらお礼を言っただけだったような気がする。ものすごく人懐っこい印象だった、このサクレクール寺院に比べて、ノートルダム寺院は、その名の通り、貴婦人かマリア様のように、近寄りがたく心に残る存在であった。
 2003年3月に文化会館小ホールでリサイタルを開いたわが家族のチラシには、背景にノートルダム大聖堂が映っている。
 今回焼け落ちた90メートルの尖塔側(つまり裏側)から撮った写真で、手前のセーヌ川には満員のバト―ムーシュ(観光船)が映っている。私がプロデューサーだったのでこの写真の撮影にも立ち会ったのだ。
 美しい美しい大聖堂の在りし日の姿である。
 見るだけで涙が出てくる。今回出してみて、撮っておいてよかったと思った。
 現地時間16日までのフランス24の報道によれば、火災警報が20分ほどの間隔で2回鳴った後、屋根周辺に組まれていた作業用の足場付近から出火したとみられるという。当時、作業員はいなかったのだそうだ。
 また、別の報道では、改修工事の溶接が出火原因だとも言われているようだ。
 消防隊員の機転によって、大事な文化財の相当数が運び出されて無事だというから、不幸中の幸いだった。
 フランスの財閥やアメリカのネット系大会社などから、目玉の飛び出るような寄付金が申し出られている。私も雀の涙ほどでも「貧者の一灯」として献金をしたい。フランス人だけでなく、人類全体の大遺産であるから、居ても立ってもいられない気持ちなのだ。
 マクロンさんが「5年で修復する」と演説したが、無理だろう。彼は大統領ではあるがやっぱり若すぎるので、言葉が軽い。ハンサムで素敵な人だが、パリ・オリンピックに間に合わせるつもりとしても、ちょっと言葉が軽々しい。うまくいかなかった時にパリジャンの心を2度悲しませることにならないだろうか。余計なお世話だが。それほど私たちにとっても大きな関心事である。
 私はパリに滞在した時には、安全を考えて、いつも都心部の5つ☆ラグジヤリーのホテルに泊まっていた。しかし、2度ほどシャルル・ドゴール空港にくっついて超便利なオテル・シェラトンに宿泊したのだが、そこのちょっとしたロビーの一角で、ミニステージを作るのだろうか、2人の黒人工事人が作業していた。
 高さ10センチぐらいのステージなのだが、2人はちょっと作業をしてはちょっと休み、ペチャクチャ喋りながら出たり入ったりする。一向にステージはできない。つまり、寸法が合わなくて接合部分がガタピシなのである。
 時間待ちで彼らの作業を見ていた私たち家族は、笑いをかみ殺して、「日本の大工さんたちなら一発で完成させるのにね」と頷きあった。結局、私たちが見ている間にステージは完成しなかった。ノートルダム寺院の改修工事には、トップクラスの匠が結集するに違いないが、お金だけでなく、方法論は違っても、この国の優秀な宮大工さんたちの力も応援隊に入ればいいのにと思う。
 永遠に愛するパリの、永遠に人類を見下ろし続けてほしいノートルダム大聖堂は、必ず復活する。あんな無残な姿は一刻も早く消えてほしい。
 神様、お力をお貸しください。