伝説のバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフは、わずか54歳、エイズによる合併症のためにパリで客死した

 

 大作曲家のイーゴリ・ストラビンスキーがバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のために作曲したバレエ音楽『春の祭典』が、初演の時に、そのあまりにも前衛的な内容のために観客に理解されず、舞台に向けて物を投げられたり怒号が飛び交ったりして、上演途中で中止されてしまったスキャンダルは有名な話である。
 今では、『春の祭典』は畢生の大傑作とされているのに、初演では全く理解されなかったのである。あまりにも優れて時代を先取りした芸術は、当初、ゲテモノ扱いされる宿命を負う。このスキャンダル上演の時のスターは、有名なダンサーのヴァーツラフ・ニジンスキーであった。
 ニジンスキー(1890年~1950年)はバレエ・リュスのボスであるセルゲイ・ディアギレフの同性愛の相手だったが、ディアギレフが存在していたからこそ世に出た人であった。そのニジンスキーは、晩年、精神を病んで生涯を閉じた。芸術家にはよくある例である。
 今、1部の上映館でしか見られないが、ニジンスキーから遅れること48年後に生まれた、これもニジンスキーに優るとも劣らないほど有名なバレエダンサーのルドルフ・ヌレエフの前半生を描いた映画が、上映されている。
 タイトルは『ホワイト・クロウ~伝説のダンサー』である。ホワイト・クロウとは直訳すると『白いカラス』、はぐれ者という意味もあるらしい。監督は自身も俳優で、あの、名作中の名作、『嵐が丘』の主人公であるヒースクリフを演じて映画主演デビューを飾ったレイフ・ファインズである。ファインズはこの映画の中では、ヌレエフを指導する名教授のアレキサンドル・プーシキン教授も演じている。
 ヌレエフに扮しているのは俳優業未経験のバレエダンサー、1996年生まれだから今年23歳のウクライナ出身、オレグ・イヴェンコである。さすがにバレエシーンはめちゃくちゃ上手い。少々ひねくれもので、一言多い芸術家タイプのヌレエフを快演している。
 映画、『ホワイト・クロウ~伝説のダンサー』は開口一番、旧ソ連のKGBによる厳しい取り調べの場面から始まる。1961年のことだ。日本では昭和36年である。
 東西冷戦の真っただ中、パリ公演中、ロンドンに行く団員たちと別れて、1人だけモスクワに帰れというお上からの命令が来たヌレエフが、空港で危機一髪、亡命申請して空港警察に保護された事件について、師のプーシキンが当局に取り調べられているシーンである。
 プーシキン(演ずるのは監督のレイフ・ファインズ)は、当局から「ヌレエフ亡命の計画を知っていたのか」と詰め寄られる。
 「亡命の話は1度も上がらなかった。彼はただ踊りたかったから西側に渡ったのだ」と答える。温厚なプーシキンが、暗い目をして、目をかけてやった優秀な弟子の亡命に心底困惑している様子が伺える。
 ここから物語は過去にさかのぼる。
 なんで暗い目をしているかと言えば、温厚なプーシキンに連れ添っていた妻が、優秀な弟子のヌレエフをことのほか可愛がり、自宅に住まわせた期間があったからだ。
 藝術に対するあくなき貪欲さと、向上心をもった野心満々の青年・ヌレエフに対して、レニングラードの有名校・ワガノワ・バレエ・アカデミーの有名教授である上流社会の夫妻は、画面を見る限り(監督や脚本家が意図したかどうかはわからないが)、私の解釈では「異物の若者」の扱い方をわかりかねてハラハラしていた。可愛さや期待とともに、持て余し気味だったのではないのか。
 プーシキンはヌレエフと妻の関係に無関心を装っていたように描かれているが、果たして夫としては複雑な懊悩があったはずだ。自分たちを捨てて西側に亡命したその弟子のために、自分が厳しい取り調べを受けた。暗い目にならざるを得まい。
 さて、過去に遡った物語は、ルドルフが1938年、タタール系の人々が住むバシキール自治共和国の首都、ウファに移住するために乗ったシベリア鉄道の薄汚い貨車の中で生まれた顛末を描く。父親は軍人で母親は優しく、貧しいながらもルドルフに民族舞踊などを習わせてくれた。
 ルドルフは17歳でワガノワ・バレエ・アカデミーを受験するが、幼いころから正統的なテクニックを学んだエリートたちに比べて、技術がダメだと言われ続ける。気の強いヌレエフは生意気にも教師を代えろと要求して、プーシキン教授のクラスに入ったのだ。
 教授はバレエという芸術について、「なぜ踊るのか」「どのような物語を語りたいのか」を自分に問えと教える。ヌレエフは優秀な成績で卒業したのち、文化省のバシキール・バレエ団派遣命令に反して、キーロフ・バレエ団の大年増スターの相手役として、キーロフに入る。
 有名バレエ団に入れたことにより、生まれて初めてのパリ公演に加われたのである。
 ここからの描き方には疑問点もある。ヌレエフがパリで様々な美術作品を見て回ったりする中で、しばしば自分の子供時代の過去の映像に遡る。ヌレエフという稀有な才能が、言わば広大なソ連邦の田舎の町から転々として育ってきた、どんな田舎町からでも、天才はやがて芽を出すと言いたいのかもしれないが、あまり映画的に効果を上げていない。
 それよりもっと、パリ公演の素晴らしい舞台を、数多く見せてもらいたかった。彼の出自が悲惨と言えるほど惨めでもなかったのだし、母親の理解あふれた幸せな子供時代だったのだから、格別カットバックを頻繁に出す必要はなかったと思う。
 わが夫は口が悪く、クラシックバレエの男性ダンサーは、女性ダンサー(エトワール)の「ただのケツ上げだ」と批判する。確かに主役の女性ダンサーのお尻をもって介助的に踊る場合が多い。この「ただのケツ上げ」だった男性舞踊手を、ソロの豪快な踊り手にした最初の人がヌレエフだという。
 紙幅の関係で、スリリングな後半の亡命劇について書けないが、私が興味を特に惹かれたのは、いっちょ前の若く美しい肉体を持ったバレエダンサーが、年増の女性たちと懇ろにやりながら、最後はエイズで亡くなるという、一流の芸術家の両性の内面についてである。ニジンスキー然り、ヌレエフ然り。天は男という性しか愛さないのであろうか。