選良ではなくて選悪である

 

 昔、「井戸塀」という言葉があった。今はあまり聞かない。
 イドとヘイとは文字通り昔の一戸建ての井戸と塀のことである。
 今、大辞林でこの言葉を引くと、「政治活動の資金を作るために屋敷までも人手に渡り、井戸と塀しか残らないこと。政治には金がかかることのたとえ」と書いてある。
 今は水道だから井戸もなく、塀だって都会のマンションでは全くないが、現在でも、政治家が家屋敷まで売らなければならないほど、政治活動には金がかかるのだろうか。金がかかっても政治家になりたい人が山ほどいる。
 私には政治家を目指す人の心情がさっぱりわからないが。
 そんなに政治家は美味しい仕事なのだろうか。
 何故なら、常識で考えても、およそ「選良」と呼ばれるに値しない人たちがゾロゾロと政治家になっているからである。
 近頃、国会議員を「選良」と呼ぶのはやめて、「選悪」にしたらどうか、と言いたい人たちが次々に湧いて出ている。
 まず、口あんぐりの「選悪」は、経済産業省の政務官、中川俊直さんだ。
 週刊誌のグラビアに、奥さまとお子さんがいるのに、別の愛人と結婚式もどきを挙げて、写真に堂々と映り、なかんずく、翌週には、リムジンの中で愛人とヤニ下がって映っている写真が掲載されている。
 見る方が恥ずかしい。これが国会議員か?!
 しかも、奥様はガン闘病中であるという。バチ当たりだ。
 写真のキャプションも、書く人が恥ずかしかったと見えて、「おめでとうゴザイマス!」とおちょくりスタイルである(週刊新潮4月27日号)。
 有名だった元官房長官の中川秀直さんがお父様で、そのお父様も愛人を激写されて立場を失ったなど、いろいろ曰くがあった方と記憶している。DNAだ!
 このネット時代に、結婚しているのにハワイで別の愛人とガセ結婚式を挙げて、バレないと思っているとは信じられない。
 おつむの程度が劣等生並みで、46歳(たまたまわが息子と同い年だ)にもなった大人が、それくらいの想像力も働かないとはびっくり、びっくりだ。
 私の常識では考えられない行為である。オスの本能として、愛人の1人や2人、お囲いになっても別にいいが、責任のある政治家として、ヤニ下がって写真に撮られるのはまずいでしょ、と、どうしてブレーキが掛けられなかったのかそこが不思議で仕方がない。
 愛人が裏切って、メディアにチクるかもしれないのは世の常識だろう。
 雲隠れして出てこないのも幼児並みだ。
 書いている私は関係ないのに、何故だかひどく恥ずかしい。
 当週刊誌は、彼の使途不明金疑惑まで追記している。ああ。
 さて、次なる「選悪」はもちろん更迭された今村雅弘復興大臣のことである。朝日新聞と毎日新聞だけが「今村復興相 辞任へ」と4月26日の朝刊に「辞任」と出したが、他紙、つまり、読売新聞や産経新聞などはみんな「更迭」とタイトルを打っていた。「ヤバイっ」と思った安倍さんが、傷が深まらないうちにクビにしたのであるが、「震災、東北で良かった」発言より前に、記者に「うるさいっ」と言った時点で、もう今村さんはお陀仏だった。
 あの記者会見を私も情報番組で見たが、とにかく態度や発言がゴーマンである。また、更迭された時に、下を向いて謝っていたが、本心では不満タラタラ、この方は自分が悪かったと思っていらっしゃらない。それが顔に出ていた。
 そもそも、この方は、大臣が「偉い人」だと思っているフシがある。
 大臣も役人と一緒で「公僕」なのである。選挙民より偉いわけではない。
 特に復興大臣は震災で辛い目にあった人々を、身を粉にして支援し、被災者と同じ高さの目線でツラさを共に感じてあげなければならない立場である。
 上から目線で「自己責任」などとエラソーに言える立場にない。
 以前、大学同期の友人が、つくば市で環境省の外郭団体のトップだった時、環境大臣が何かの視察でつくばに来ることになった。その時の顛末を聞いたのだが、東京から車列を組んで来る間、お付きが刻々と通過場所を知らせてくるのだそうだ。要するに「大臣がお成りになるから準備して待機してろ」というわけだ。江戸時代の参勤交代じゃあるまいし、大袈裟で参ったと友人は笑っていた。
 こういう扱いをされるからバカ男は錯覚して自分を「偉い人」と思うのだ。
 「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」は今や死語である。
 「東北だったから良かった」という発言からは様々なことが類推できる。
 東京に住んでいる今村さんから見て、東北はいまだに「旧蝦夷地」とはいかないまでも、辺境の田舎なのである。貧しい田舎に災害が起こっても、大都会の東京に問題がなければ、われ関せず。
 しかし、彼が比例代表で選ばれた九州ブロックの地方であったら、果たして「九州で良かった」と言うだろうか。言うまい。つまり、東北への震災復興のための落下傘大臣は、6年たっても大震災で傷ついた東北地方のことを共に悩む気持ちがない。ないどころか、突き放して冷ややかに見ているのだ。
 こういう「選悪」議員を年功序列で大臣に任命した安倍総理大臣も同罪、人物の出来損ないぶりを喝破する眼力もなければ、想像力も欠けている。
 他にも「選悪」議員がゾロゾロいるわが国の情けなさ。選挙の時に情実や〇〇さんの後継者だからとか、しがらみで投票する選挙民にも大いに責任がある。
 かくして、政治家に絶望して、投票率も下がる悪循環は延々と続くのである。